長部教典 第13経 三明経(さんみょうきょう)
「慈悲喜捨の瞑想・無限に拡大するこころ」
このお経は
バラモンの青年、ヴァーセッタとバーラドバージャがバラモンの師から学んだ、
梵天の世界へ至る正しい道と間違った道について議論が生じて、ブッダに話を聞きに行くお話です。
ブッダは青年バラモンの質問を聞きながら質問をします。
「梵天には妻がいていますか?梵天には心に恨みや悪意、汚れがありますか?梵天には自制心はありますか?」
青年バラモン「梵天には妻はいません、梵天には心に恨みや悪意、汚れはありません。梵天には自制心はあります。」
ブッダはさらに青年バラモンに問います。
「バラモン達の師匠は、妻がいていますか?心に恨みや悪意、汚れがありますか?自制心はありますか?」
青年バラモン「バラモンの師匠には妻がいます。心に恨みも、悪意もあり、汚れています。そして、自制心はありません。」
ブッタは質問します、
「梵天とバラモンは性質が違うので親しくなることはあるでしょうか?身体が滅びて死んだ後、梵天を共存する根拠がないのです。」
青年バラモンは懇願します。
「わたくしたちに梵天との共生の道を説いてください。お救い下さい。」
〈ブッダは青年バラモンたちに説法をします〉
修業完成者の話を聞いて、出家をした修行僧は、戒律を守るので、
「感覚器官の門の防護」をしながら過ごすと、
「注意力の念と明瞭な意識の正知」を自覚した行動を身につけます。
いかなるものにでも「満足」して過ごします。
修行僧はこのように戒を身につけ、感覚器官の制御を身につけ、明瞭な意識を身につけて行動し、満足も身につけながら、人里離れたところで瞑想に取り組みます。
修行僧は世間に関する貪欲を捨て、貪欲の消えた心をもって生活し、貪欲から心を浄めます。
そして、覚りの妨げになるこころの障りの「五つの障害」もこころから取り除きます。
五つの障害が無くなった修行僧は、自己の中に満悦が生じ、喜悦が生じ、軽安となり、福楽を感じ、福楽の心の者は瞑想の安定(三昧)の境地を獲得します。
そして、ブッダは「梵天と共生でき、梵天に生まれ変わることができる慈悲喜捨の瞑想」を教えます。
《四無量心》
一切の世界を広大な、大いなる、はかりしれない、怨みなく、悪意のない友愛の心で満たすのです。
友愛(慈)の心を修すると、
哀れみ(悲)の心で満たす、
喜びの(喜)心で満たす、
平静(捨)な心で満たす、
心が解脱し、輪廻の原因はそこに残っていない。梵天との共存の道です。
四無量心のはなしが終わるとブッダは青年バラモンに話します。
「このように梵天と修行者は性質が同じなので親しくなるのです。身体が滅びて死んだ後、梵天を共存する根拠なのです。」
この説法を聞いた青年バラモンは
「すばらしいことです、隠されている善い行為を顕すように、道に迷ったものに道を示すように、ゴーダマ・ブッダはさまざまな仕方で、法を示されました。わたくしたちは尊者ブッダと修行者の集まりに帰依します。いまより命あるかぎり帰依いたします。」
(参考:「図解」26.「梵行」(ぼんぎょう))