長部教典 第13経 三明経(さんみょうきょう)
「慈悲喜捨の瞑想2」
長部経典 13経 「三明経」パート2(さんみょうきょう)「テーヴィッジャ経」
「正しい道とはなにか」
このお経は
バラモンの青年、ヴァーセッタとバーラドバージャがバラモンの師から学んだ、
梵天の世界へ至る正しい道と間違った道について議論が生じて、ブッダに話を聞きに行くお話です。
ブッタは青年バラモンたちの質問を聞きながら質問をしていきます。
「いままで梵天との共生を教えているバラモンが一人でも梵天を直接見た人はいますか?過去のバラモンの師匠をさかのぼって梵天を直接見た師匠はいていますか?」
バラモン青年は答えます。
「今まで過去にさかのぼって、梵天を直接見た師匠はいません。」
ブッダはいいます。
「それでは今までのバラモンの師匠の教えは、梵天を見たことが無いのに、共生の道を教えていて筋の通らないことを教えているのではないでしょうか?」
「では、多くのバラモンの師匠は月と太陽を拝んでいるが、月と太陽の共生に至る道を教えることができますか?」
バラモン青年「できません」
「それと同じように、今のバラモンの師匠はバラモンとなるべき特質をすてて、それに反する梵天たち天の神に祈りを捧げているにすぎません。祈りに応じて死んだ後、梵天と共生するという根拠がありません。」
青年バラモン「そのようなことはできません。」
《ここから教えが始まります。》
ブッダ「それと同じように、今のバラモンの師匠たちも五つの欲望で縛られているのです。
目で見て欲となる「色」に縛られ、
耳で聞いて欲となる「声」に縛られ、
鼻で匂って欲となる「香」に縛られ、
舌で味わって欲となる「味」に縛られ、
身体で触れて欲となる「触」に縛られ、
今のバラモンの師匠たちは祈りにたいして、執着し、夢中になり、罪を犯し、わざわいと見ないで、智慧もたず、愛欲という縛るものに結びつけられていながら、身体が滅びて死んだ後、梵天を共生する根拠がないのです。
バラモン青年「そんなことはできません。」
《五蓋(ごがい)の説明です》
ブッダ「それと同じように、今のバラモンの師匠たちも五つの障害で覆われているのです。」
愛欲の欲望(貪り)、
悪意の怒り(怒り)、
心の落ち込みと眠けの障害(惛沈・睡眠)、
心のざわつきと後悔の障害(掉挙・悪作)、
疑い深いの疑いの障害(疑い)
で覆われているのです。
そして、
三ヴェーダに詳しいバラモンたちは、ヴェーダを信仰しながら、落胆するのです。
それは、砂漠を渡る人が、途中で終わり絶望するようなものなのです。
砂漠のような三ヴェーダといわれ、密林のような三ヴェーダと言われ、災厄のような三ヴェーダといわれるのです。
青年バラモンはブッダに質問します。
「ブッダは梵天の共生の道を知っていると聞いています。梵天の共生はどのようにするのですか?」
《ブッダはたとえ話をまじえて答えます。》
青年バラモンは懇願します。
「わたくしたちに梵天との共生の道を説いてください。お救い下さい。」
ブッダがいいます。
《さらに教えの説法がつづきます。》
「この世界に修行完成者の如来が出現しています。」
《仏の十号の説明》
如来は、
①威徳ある人、至福をもつ人、神聖な人の意味の世尊と呼ばれ、
②修業完成者でほかの人から供養されるに値する人の阿羅漢であり、
③正しく覚った正真の覚者(サンマサンブッタ三みゃく三仏陀)、正遍知とも正等覚とも呼ばれる者であり、
④智慧の明と修業の実践の行の具足完備した明行足と呼ばれる者であり、
⑤完全に仏の悟りの世界に逝く善逝と呼ばれるよく逝ける者であり、
⑥世間を見抜いて悟りを教示できる世間解とよばれ、
⑦この上ない最高境地を体得した人の無上なる存在であり、
⑧仏性をそなえるすべての人間の調練者である調御丈夫とよばれ、
⑨天人と人とすべての生き物の教導の師匠であり、
⑩仏のブッダで真理を覚った覚者であります。
仏の十号で呼ばれる悟りを開いた人は
神々の世界、魔の世界、梵天の世界、沙門・バラモンの修行者たち、天界と人間界を含む、
この世界をよく知り、体現したことを説きます。
初めもよく、半ばもよく、終わりもよい、内容もよく、文体もよい教えを説示し、完全無欠で清浄な梵行を明らかにします。
その修行完成者の如来の話を聞いた人は、如来に対する信仰が目覚めて獲得します。
その信仰を獲得した者たちは、「家庭生活は煩わしく、塵まみれの道である。出家生活は執着がない野外のようなものだ。」「家庭を営む者が、ほら貝の磨き抜かれたような完全で清浄な梵行を行うことは容易ではない。わたしは髪とひげをそり、袈裟衣をまとい、家を離れて出家してはどうか?」と財産も家族も捨てて出家します。
このようにして、出家者となり、戒律を守ることによって守られ、正しい行いと、行動を維持して生活します。
身口意の善い行動を維持して、清浄な生活を送り、戒をそなえ、感覚器官の門を守り、注意力と明瞭な意識を維持し満足するのです。
出家者は、
《小さな戒(初梵行戒)》
1、生き物の殺生から離れている。
2、人の物を盗むことから離れている。
3、女性とみだらな行為などからも離れています
(身体の行いを清浄にする3つの戒)
1、嘘をつくことから離れている。
2、人と人とを不仲にさせるような言葉は使いません。
3、乱暴な言葉で相手を罵ることから離れています。
4、つまらない冗談などからも離れています。
(言葉を清浄にする四つの戒)
それから、種子類、草木類を傷つけるなどのことから離れています。
(もろもろまとめて正常な生活の戒)
《中戒(清浄な生活)》
草木や種子など損なうことから離れています。
美味な食べ物など持ち物の貯蔵から離れています。
踊りに歌謡、器楽など見世物の見物から離れています。
将棋に碁遊び、怠ける原因となる遊びからも離れています。
豪華な椅子や必要以上に大きい寝具などからの贅沢に耽ることから離れています。
《大きな戒(避けるべき邪悪な生活手段)》
手相や身体の特徴による占い、天変地異の占い、など神秘性によって効力をあらわす行為の無益な呪術から離れています。
宝石の相、性格判断や生涯の運勢を割り出す無益な呪術ことから離れています。
戦争の勝ち負けの判定など無益な予想からも離れています。
世間ではこのようなよこしまな生活を営んでいる人がいているが、しかし出家者はそのようなことから離れて戒を守った生活をしています。いかなる場合でも、戒による自己制御によって決して怖れを感じることは有りません。
と、小中大の三つの戒の守り方の話が終わります。
〈感覚器官の門の防護〉
修行者はどうのように感覚器官の防護をしているのかを説きます。
修行者は、目で見るとき、耳で聞くとき、鼻で臭いをかぐとき、舌で味わうとき、身体で触れるとき、心の意識で物事を認識するとき、この五つの感覚器官で物事を捉えるとき、制御しないままで生活すると、もろもろの欲望や悪いものが入り込んでしまうので、物事の全体にも細部にも捉われないで、修行者はその五つの感覚器官の制御に努め、防護した生活をします。
〈注意力と明瞭な意識〉
次に、修行者はどのように注意力と明瞭な意識を身につけるのですかとブッタに尋ねます。
修行者はどんな行動するときも明瞭な意識をもって行動します。衣を着るときも、鉢を持つときも、食べるときも、飲むときも、排便するときもどんな時も自分が今何をしているのかを明瞭な意識を自覚して行動し身につけています。
〈満足〉
次に、修行者はどうのように満足しているのかを説きます。
修行者は身を包むだけの衣と腹を満たすだけの托鉢による食事で満足し、どこへ行くにもそれだけででかけます。翼を持つ鳥が飛ぶとき、翼だけで飛ぶように、修行者も最低限のことで満足します。
〈五つの障害の除去〉
愛欲の欲望(貪り)を捨て、
悪意の怒り(怒り)を捨て、
心の落ち込みと眠けの障害(惛沈・睡眠)を捨て、
心のざわつきと後悔の障害(掉挙・悪作)を捨て、
疑い深いの疑いの障害(疑い)を捨てて
心を浄めて生活します。
五つの障害が無くなった修行者は、自己の中に満悦が生じ、喜悦が生じ、軽安となり、福楽を感じ、福楽の心の者は瞑想の安定(三昧)の境地を獲得します。
〈第一の禅定とその果報〉
三昧の境地の次に修行者は、もろもろの不善なことを離れ、大まかな思考と細かい思考がまだ伴っているが、欲と不善から離れることで生じた喜びと安楽のある、第一の禅定に達してそこにいます。かれの身体は欲と不善から離れた生じた喜びと安楽によって包まれ潤し満たされています。
《四無量心》
そして、修行者は第一の方向を友愛のこころで満たします。
第二の方向も友愛のこころで満たします。
第三の方位も友愛のこころで満たします。
第四の方位も友愛のこころで満たします。
上の方位も、下の方位も、横の方位も、すべての方位をすべてのところを、一切の世界を、広大な、大いなる、はかりしれない、怨みなく、悪意のない友愛のこころで満たして生活します。
力強くほら貝をふくように、容易に四方にあますことなく友愛のこころを知らすことができるのです。
友愛のこころを修養すると、こころが解脱し、輪廻の原因となる行為はそこには残っていません。そこに輪廻の原因となる行為は存在していません。これが、梵天との共生にいたる道です。
さらに修行者は、
第一の方向を哀れみのこころで満たします。
第二の方向も哀れみのこころで満たします。
第三の方位も哀れみのこころで満たします。
第四の方位も哀れみのこころで満たします。
上の方位も、下の方位も、横の方位も、すべての方位をすべてのところを、一切の世界を、広大な、大いなる、はかりしれない、怨みなく、悪意のない哀れみのこころで満たして生活します。
力強くほら貝をふくように、容易に四方にあますことなく哀れみのこころを知らすことができるのです。
哀れみのこころを修養すると、こころが解脱し、輪廻の原因となる行為はそこには残っていません。そこに輪廻の原因となる行為は存在していません。これが、梵天との共生にいたる道です。
さらに修行者は、
第一の方向を喜びのこころで満たします。
第二の方向も喜びのこころで満たします。
第三の方位も喜びのこころで満たします。
第四の方位も喜びのこころで満たします。
上の方位も、下の方位も、横の方位も、すべての方位をすべてのところを、一切の世界を、広大な、大いなる、はかりしれない、怨みなく、悪意のない喜びのこころで満たして生活します。
力強くほら貝をふくように、容易に四方にあますことなく喜びのこころを知らすことができるのです。
喜びのこころを修養すると、こころが解脱し、輪廻の原因となる行為はそこには残っていません。そこに輪廻の原因となる行為は存在していません。これが、梵天との共生にいたる道です。
さらに修行者は、
第一の方向を平静なこころで満たします。
第二の方向も平静なこころで満たします。
第三の方位も平静なこころで満たします。
第四の方位も平静なこころで満たします。
上の方位も、下の方位も、横の方位も、すべての方位をすべてのところを、一切の世界を、広大な、大いなる、はかりしれない、怨みなく、悪意のない平静なこころで満たして生活します。
力強くほら貝をふくように、容易に四方にあますことなく平静なこころを知らすことができるのです。
平静なこころを修養すると、こころが解脱し、輪廻の原因となる行為はそこには残っていません。そこに輪廻の原因となる行為は存在していません。これが、梵天との共生にいたる道です。
四無量心のはなしが終わるとブッダは青年バラモンに質問します。
青年バラモン「このような修行者には妻がいません。心に恨み悪意もありません、汚れていません。自制心はあります。」
ブッタはさらにいいます、
この説法を聞いた青年バラモンは
「すばらしいことです、倒れたものを起こすように、隠されている善い行為を顕すように、道に迷ったものに道を示すように、ゴーダマ・ブッダはさまざまな仕方で、法を示されました。わたくしたちは尊者ブッダと修行者の集まりに帰依します。わたくしたちを在俗信者として受け入れて下さい。いまより命あるかぎり帰依いたします。」
お経に出てきたブッダの教えも図解で見たらさらにお経の読み方がわかるよ!
しかし、今回もほぐしに、ほぐしているんだよ!次回はほぐし読みを用意しますね!お楽しみに!
《五蓋(ごがい)》
《「戒」と「律」の「戒律」》
「戒律を守ることによって守られ
戒をそなえ、感覚器官の門を守り
〈感覚器官の門の防護〉」
《清浄な梵行》
「《小さな戒(初梵行戒)》
《中戒(清浄な生活)》
《大きな戒(避けるべき邪悪な生活手段)》」
《四無量心》
とそつ天は欲界の空居天にいるよ!こちら「天の神々の図解」