六師外道「マッカリ・ゴーサーラ」アージヴィカ教
「無作用の宿命論者」




六師外道(ろくしげどう)
六師外道(ろくしげどう)とはブッダ当時活躍していた沙門の修行僧たちで、仏教(ブッダの教え)と違う考えの見解なので、仏教の外の道(外道)と呼ばれています。
マッカリ・ゴーサーラ
マッカリ・ゴーサーラはアージーヴィカ教の開祖です。アージーヴィカは「きびしい生活を守る人」の意味があり、みんな裸で過ごしていた裸形者(らぎょうしゃ)とあります。
杖を持つ者の意味「マスカリン」で呼ばれていたと解説もされています。
漢訳では「邪命外道」(じゃみょうげどう)と訳されて出てくるみたいです。
ブッダはこの「無作用の宿命論」を説いたアージーヴィカ教をもっとも批判したといわれています。
こんなエピソードも原始仏典にでてきます。
中部教典 第26経「聖求経」、ブッダが菩提樹で成道をして覚りを開いて、一番最初に出会って説法したのが、アージーヴィカ教徒のウパカでした。
と頭を振り、去っていった。
原始仏典にでてくるマッカリ・ゴーサーラ
長部経典 第二経「沙門果経」
アジャータサットゥ王子が、「目に見える形の修行の成果」の質問をして、マッカリ・ゴーサーラが回答したのが、
「生けるものには、汚れの直接原因の「因」も間接原因の「縁」もありません。因縁に関係なく汚れるのです。因縁に関係なく清浄になるのです。すべての命あるものは、自在力もなく、偶然の結合と本来の性質とに左右され、六つの趣く先(六道)において安楽や苦痛を感受します。そして輪廻を繰り返した後、ようやく「苦」の終滅を実現するでしょう。ちょうど毛糸玉が投げ出されると、糸がなくなるまでほどけながら転がっていくように、ようやく「苦」の終滅を実現するでしょう。」と輪廻による浄化の回答をしました。
と「無作用の宿命論」を説いているエピソードがでてきます。
中部教典 第七六経「サンダカ経」
第三の清らかならざる行い
「他の師は、生けるものたちの汚れには因がなく、縁はない。因なしに生けるものは汚れる。生けるものの浄化に因はなく、縁はなく、さまざまな運命と在り方で、六つの趣く先において安楽や苦痛を感受する。」と間違った見識をする者としてマッカリ・ゴーサーラの「無作用の宿命論」が取り上げられてでてきます。
中部Ⅱ 第六〇経 「アッパンナカ経」にも同じように、批判される考え方でてきます。
「図解」4.沙門の思想と六師外道
「原典で読む原始仏教の世界」
高橋審也先生「アージーヴィカ経」より
中村元先生監修・阿部慈園先生編集