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「六師外道」マッカリ・ゴーサーラ、アージヴィカ教「無作用の宿命論」マンガ

マッカリ・ゴーサーラ
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六師外道「マッカリ・ゴーサーラ」アージヴィカ教

「無作用の宿命論者」

マッカリ・ゴーサーラ マッカリ・ゴーサラー4-2 マッカリ・ゴーサラー4-3 マッカリ・ゴーサラー4-4

六師外道(ろくしげどう)

六師外道(ろくしげどう)とはブッダ当時活躍していた沙門の修行僧たちで、仏教(ブッダの教え)と違う考えの見解なので、仏教の外の道(外道)と呼ばれています。

マッカリ・ゴーサーラ

マッカリ・ゴーサーラはアージーヴィカ教の開祖です。アージーヴィカは「きびしい生活を守る人」の意味があり、みんな裸で過ごしていた裸形者(らぎょうしゃ)とあります。

杖を持つ者の意味「マスカリン」で呼ばれていたと解説もされています。

漢訳では「邪命外道」(じゃみょうげどう)と訳されて出てくるみたいです。

ブッダはこの「無作用の宿命論」を説いたアージーヴィカ教をもっとも批判したといわれています。

こんなエピソードも原始仏典にでてきます。

中部教典 第26経「聖求経」、ブッダが菩提樹で成道をして覚りを開いて、一番最初に出会って説法したのが、アージーヴィカ教徒のウパカでした。

ブッダ
ブッダ
わたしは一切にうち勝った者である。一切を捨て、渇愛を消滅させて、解脱した。わたしは勝者である。
ウパカ
ウパカ
友よ、そうかもしれない。

と頭を振り、去っていった。

えん坊
えん坊
ブッダの最初の説法は失敗したんだね、、。このことが原因でアージーヴィカ教をもっとも批判してるなんて思いたくないよ、、、。
ブッダ
ブッダ
自分の行いの「業」によってよい所に生まれかわる行為論を説いたので、「無作用の宿命論」を批判したのですよ。

原始仏典にでてくるマッカリ・ゴーサーラ

長部経典 第二経「沙門果経」

アジャータサットゥ王子が、「目に見える形の修行の成果」の質問をして、マッカリ・ゴーサーラが回答したのが、

「生けるものには、汚れの直接原因の「因」も間接原因の「縁」もありません。因縁に関係なく汚れるのです。因縁に関係なく清浄になるのです。すべての命あるものは、自在力もなく、偶然の結合と本来の性質とに左右され、六つの趣く先(六道)において安楽や苦痛を感受します。そして輪廻を繰り返した後、ようやく「苦」の終滅を実現するでしょう。ちょうど毛糸玉が投げ出されると、糸がなくなるまでほどけながら転がっていくように、ようやく「苦」の終滅を実現するでしょう。」と輪廻による浄化の回答をしました。

と「無作用の宿命論」を説いているエピソードがでてきます。

中部教典 第七六経「サンダカ経」

第三の清らかならざる行い
「他の師は、生けるものたちの汚れには因がなく、縁はない。因なしに生けるものは汚れる。生けるものの浄化に因はなく、縁はなく、さまざまな運命と在り方で、六つの趣く先において安楽や苦痛を感受する。」と間違った見識をする者としてマッカリ・ゴーサーラの「無作用の宿命論」が取り上げられてでてきます。

中部Ⅱ 第六〇経 「アッパンナカ経」にも同じように、批判される考え方でてきます。

えん坊
えん坊
当時のインドにも毛糸玉があったんだね!
ぼーさん
ぼーさん
アージーヴィカ教は、アショカ王の時代の紀元前3世紀ごろが勢力のピークで、13世紀まで存在したと言われています。
六師外道がでるお経はこちら↓

「原典で読む原始仏教の世界」
高橋審也先生「アージーヴィカ経」より
中村元先生監修・阿部慈園先生編集