六師外道「パクダ・カッチャーヤナ」
「不変不壊の七要素の実在論(七身説)」




六師外道(ろくしげどう)
六師外道(ろくしげどう)とはブッダ当時活躍していた沙門の修行僧たちで、仏教(ブッダの教え)と違う考えの見解なので、仏教の外の道(外道)と呼ばれています。
ブッダはこの自我の「我・アートマン」の存在を徹底的に否定しています。それが長部経典第一経「梵網経」から始まっているのですね!
パクダ・カッチャーヤナ
パクダ・カッチャーヤナは六師外道のひとりで「不変不壊の七要素の実在論(七身説)・唯物論者」と解説されています。
原始仏典にでてくるパクダ・カッチャーヤナ
長部経典 第二経「沙門果経」
アジャータサットゥ王子が、「目に見える形の修行の成果」の質問をして、パクダ・カッチャーヤナが回答したのが、
この世界は七つの要素、「地の要素・水の要素・火の要素・風の要素・楽・苦・霊魂」できており、これら七つの要素は作られたものではなく、作らせたものではなく、創造されたものではなく、創造するものではなく、何物も産み出さず、動かないで変化もしません。お互いに干渉することもありません。たとえ鋭利な刃で人を切っても、ただ七つの要素の間に刃が落ちていくにすぎません。誰かが誰かの生命を奪うことになりません。」と別の観点から違うことの回答をしました。
と「不変不壊の七要素の実在論(七身説)(唯物論)」を説いているエピソードがでてきます。
中部教典 第七六経「サンダカ経」
第四の清らかならざる行いでは、
上記の説明の「誰かが誰かの生命を奪うことになりません。」のあとに、「640万6600の主な出生処がある、500の業と5つの業と3つの業と1つの業と半分の業がある。62の実践がある。62の中間劫がある。6つの趣く先がある。8つの人の地がある。4900の生活法がある。4900の遍歴業者がいる。4900の龍の住処がある。2000の根がある。3000の地獄がる。36の塵の要素がある。7つの想をもつ胎と7つの想をもたない胎と7つの束縛を離れた胎と7つの天と7つの人と7つの悪鬼とがある。7つの湖と7つの山と7つの断崖と700の断崖とがある。7つの夢と700の夢とがある。840万の大劫があり、その間を愚か者も賢者も流転し輪廻して苦を消滅する。」と間違った見識をする者としてパクダ・カッチャーヤナの「不変不壊の七要素の実在論(七身説)(唯物論)」が取り上げられてでてきます。
中部教典76経の浪花宣明先生の註釈の解説をみると、「七つの要素は統一体に変化することはなく、統一体になるには、ならしめるなにかが存在しなければならない。それが存在しない以上、人間という存在もない、、、。」などと、かなり複雑で、当時の六師外道の哲学的で物理学的な、真理を追究していた思想家たちの深い考え方が伺えます。
「図解」4.沙門の思想と六師外道