なんで日本では、あまり知られてないの?
南伝仏教のパーリ仏典「原始仏典」のお経がきたのはなんと今から約100年前の明治時代になってからなんだって!つい最近なんだね!
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原始仏典のパーリ仏典が日本語になったのは
①1815年イギリスがセイロン島占領
まず、1815年イギリス人がセイロン島(現在のスリランカ)を占領した歴史背景がきっかけみたいだね。


セイロンを占領して植民地にした当時のイギリス人は、現地でキリスト教を広めようとしたんだ。
まずはセイロンの歴史を調べるために、古代インド語であるパーリ語を調べたみたいだよ。
そしてさらに、
仏教徒が多いセイロンの人々のことを理解するためにも、
仏教のパーリ仏典も研究して英訳に翻訳していくんだ!
それは、「真理」ですぞ!
ニヤリ!
②それから、西洋でパーリ仏典の仏教研究がさかんになる
そして、西洋で仏教研究が盛んになり、
1881年にイギリス人の東洋学者であるリス・デヴィッズ(1843-1922)が
パーリ聖典協会(Pāli Text Society、略称:PTS)をロンドンに作り、
南伝上座部仏教の「パーリ経典」の翻訳を1921年に出版したんだ。
この翻訳されたパーリ仏典(PTS版)は現在でも仏教研究の大事な礎になっているんだ。




③1941年「パーリ仏典」が「南伝大蔵経」として日本語に翻訳される
そして1941年、
ついに日本でも、
リス・デヴィッズが翻訳した「パーリ経典・PTS版」を底本にして、
高楠順次郎先生(1886-1945)が『南伝大蔵経』(全65巻)を日本語に翻訳したんだ!




日本語で読める主な「原始仏典・パーリ仏典」
①春秋社「原始仏典」
②大蔵出版「パーリ仏典」片山一良先生著
③「小部経典」著者:正田 大観(しょうだ だいかん)
④中央公論社「世界の名著・バラモン経典・原始仏典」
(参考:「図解」ブッダの教えもくじはこちら)