目次 クリックでジャンプ
アジャンター インド一人旅 第4回 ブッダを探しにインドに行く

アジャンター石窟群(アジャンターせっくつぐん)
アジャンター石窟群は、
インドのマハーラーシュトラ州のワゴーラ川にある断崖に、
800年の年数をかけて削って作られた、
30の洞窟がある仏教石窟寺院群です。
紀元前2世紀から紀元6世紀ごろまで、
石窟は彫られ続けられましたが、
7世紀にはいると石窟群は放棄されてジャングルに埋もれていました。
発見されたのが、1819年です。
1000年以上、手つかず状態だったのですが、
今も彫られた石窟の形だけではなく、
色彩豊かな壁画も見ることができる、
とても貴重な世界遺産です。


石窟には2種類あります。
1、僧院(ヴィハーラ)のヴィハーラ窟
修行僧が寝泊まりして過ごしていた場所
2、ブッダのストゥーパ(チャイティヤ)の
仏舎利塔が彫られたチャイティヤ窟
修行僧が礼拝をした場所
アジャンター石窟群の配置図
アジャンター石窟群の配置図の、
黄色の第9窟、第10窟、第19窟、第26窟、第29窟の
5つがチャイティヤ窟で、
残りの、
ピンクとグレーはすべてヴィハーラ窟です。
その中のグレーは未完成の石窟です。
地盤が硬すぎて彫れなかったときは、
そのままほったらかし状態にして、
隣を掘ったと解説を聞きました。
インド人の人柄を表してるのだなぁ~と感じました(;^_^A
アジャンター石窟群の年代は前期と後期の2期
「前期」は紀元前1世紀から紀元後2世紀ごろで、
ドラヴィダ人が王朝の時代、
サータヴァーハナ朝に石窟が彫られています。
仏教集団では上座部(小乗)の時になると解説されています。
ヴィハーラ窟(僧院)では第12窟、第13窟、第15窟と、
チャイティヤ窟(仏舎利塔)では第9窟、第10窟、
前期は石窟の中の装飾が少なく簡素な造りなので、
修行をするのが中心だったと思われます。
「後期」は5世紀から7世紀ごろで、
後期は大乗仏教が盛んな時期で、
ヴァーカータカ朝に石窟が彫られています。
豪華に装飾された菩薩像や壁画が描かれています。
上記の5つ以外はすべて後期の石窟になります。
ヴィハーラ窟(僧院)でも、
石窟の奥に説法印を組んだブッダが彫られていて、
さらに脇侍に菩薩も従えています。
木造の建築物を見立てて柱や梁も石窟内に彫られて装飾されています。
仏殿としての様式になっています。
アジャンター石窟群、見どころ風景
第1窟 蓮華手菩薩(れんげしゅぼさつ)、padmapani


この第1窟では、蓮華手菩薩(れんげしゅぼさつ)がとても有名です。
一番の見どころの石窟が最初にあります。動画もあります。
英語では、padmapani(パドマパーニ)と呼ばれます。
最近の研究では、守門神(すもんしん)とする説が有力みたいです。
ほんとうに見事なほど、きれいに色彩が残っています。
壁画の色鮮やかなのに大変驚きました。
法隆寺の壁画のエピソードは後ほどします。






第2石窟 装飾がとても豪華な石窟
第1窟の中央広間の柱が20本に対して、
第2靴は12本と少し規模が小さいです。
両方ともに後期の石窟で、
仏殿の様式に装飾が豪華になっています。




第3窟 立ち入り禁止
第4窟 未完成ながらもとても広い石窟
とても広い寺院のなかにブッダの像があります。
動画がありますので雰囲気をご覧ください。

第5窟 未完成
第6窟 唯一の2階建ての石窟
第6窟を案内してくれた現地の人が仏教徒の方で、
とても優しくいろんなことを教えてくれたのが印象的でした。



壁画の描き方もまず下書きをしてから絵を描き、
色を塗るときも、床の穴で色を擦り合わせていたので、
床が削れて丸い穴があいているのが今も残っています。

一番驚いたのが、石柱を叩くと、
「サー、リー、ガー、マー」「パー、ダー、ニー、サー」と音階というのか、
ちがう音が鳴るように石柱がつくられているのです。
この「サー、リー、ガー、マー」「パー、ダー、ニー、サー」はマントラと説明を受けたのですが、
調べても意味がでてきませんでした。
この音が鳴る柱(ピラー)はミュージカル・ピラーズと呼ばれているみたいです。
柱の音はききとりづらいですが、動画があります。


インドで初めて仏教徒名乗る人とも出会えました。
第7窟 広間のないくぼみだけの石窟 写真なし
第8窟 立ち入り禁止
第9窟 チャイティヤ窟 紀元前1世紀前のストゥーパ
入り口がとても豪華でした。
仏舎利塔(チャイティヤ)に光を差し込む窓の構造になっています。


さらに上に傘蓋(チャトラ)があったのが今は失われています。


第10窟 第9窟よりも広くて大きいストゥーパがあります。


10分程度の立ち話でしたが、体調不良の改善策を教えてもらいました。

第11窟 天井画がきれいな石窟ですが、写真が残ってなかったです。
第12窟 前期、ヴィハーラ窟で、簡素でなにもないです。

第13窟、第14窟 立ち入り不可
第15窟は展示室になっている



第16窟 後期にしては簡素なつくりの石窟
意外にも広さは第1窟と同等くらいひろい石窟です。


第17窟 壁画が見事に残っている石窟
天井の壁画もとてもきれいでした。





第18窟 小さな石窟です。入り口風景

第19窟 後期の豪華な装飾のチャイティヤ窟(仏舎利塔)
こちらにも、光を取り込む窓(チャイティヤ窓)が入り口についています。
入り口の門のまわりも豪華に装飾されています。




第21窟~第25窟 未完成 写真なし

第26窟 クライマックスの石窟です。
入り口チャイティヤ窓の装飾も細かく仕上げられています。
石窟内も、奥行20mで柱の数は28本と大規模です。
この石窟には唯一の涅槃像が彫られています。









第27窟~第30窟 立ち入り禁止
アジャンター、写真スライドショーと動画風景
一部の石窟ですが、動画も残っていました。
アジャンターはなかなか遠いので、雰囲気をどうぞ!
インドアジャンターの位置
アジャンターへは現地ツアーを申し込んだ
2014年2月5日の朝8時15分にMTDCというツアー会社で集合しました。
昨夜腹痛で、夜中にトイレに4、5回行っている健康状態でした。
朝にアクエリアスを飲んで、あとは何も食べないで一日を過ごしました。
アジャンターのツアーはイスラエル人の男性と、韓国の夫婦、白人女性と、わたくしぼーさんの5人で出発しました。
移動する車は日産セレナで大きいSUVで、
乗り心地がとても良かったのででこぼこ道の2時間30分も楽でした。
アジャンターはとても有名な観光地でしたので、
とてもきれいに整備されています。
廻りやすいうえに、トイレもきれいで、空気もきれいです。
第1窟から第26窟までが観光場所です。
憧れの世界遺産のひとつアジャンターにこれただけでも嬉しかったです。
第1窟の蓮華手観音さんの壁画がとても見たかったのでした。
世界最古の木造建築物である、
日本の法隆寺の壁画に描かれている、
勢至菩薩さんのモチーフがアジャンターの壁画と聞いたとき、
シルクロードを渡ってはるばる日本にやってきたのが、
とても感動的でしたので、
日本に戻った翌日、すぐに法隆寺に行って、
自分の眼で見比べもしてきました。
仏教が大事に残されて、
国を超えて継承されているのが深く実感できました。
日本の法隆寺も建築が紀元6世紀で、
かなり古いのですが、
大元のインドは紀元前から仏教の遺跡がこんなにも鮮明に残っているので、
やはり、ブッダの教えも大元を探ることも大事だと感じていました。


ゆっくりアジャンターを散策して、市内に戻りました。
アジャンター付近は空気もきれいでとてもリラックスできたのですが、
市内に戻ると、ニューデリーみたいに騒音がひどいです。
体調不良も重なり、食欲もなく思考力もかけていました。
熱も出だしたので、次の日は一日中寝込みました。
まだ、オーランガバードでは、エローラの観光もあります。
続きます。

経典での仏教の歴史背景
■1世紀ごろに成立したのが「法華経」

■7世紀ごろにせいりつしたのが「密教」
