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ブッダの遺骨が発見され「実在」が証明される
ブッダの遺骨「仏舎利」発見
1898年日本では明治31年にインドのピプラーワーで、イギリスの駐在官Mr.ペッペさんが遺跡を発見しました。その遺跡の中には「仏舎利」容器が入っていました。
仏舎利容器には「この容器にはブッダのご真骨を安置する」と彫られていました。
これはパーリ語で編成され作られた原始仏典の長部経典の第16経「大般涅槃経」(だいはつねはんきょう)に、ブッダが入滅したあと、遺体を火葬にしたのち、遺骨の分配とストゥーパをつくり崇拝するという内容と一致しました。
この遺跡の発掘でブッダの実在が証明されたのです。今から2500年前に誕生し、唯一無二の覚りをひらいて、「苦」からの解脱の教えを生涯説いたブッダの遺骨が現在に存在するのです。
実在したブッダの生涯と原始仏典にでてくる主な土地
生まれた場所 | ルンビニー |
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成道した場所 | ブッダガヤ |
初転法輪 (初めての説法した場所) |
サールナート(鹿野苑・ろくやおん) |
マガダ国 | マガダ国「ビンビサーラ国王・息子アジャータサットゥ」 首都ラージャグリハ(王舎城・おうしゃじょう) ラージギル(霊鷲山・(りょうじゅせん) 竹林精舎(ちくりんしょうじゃ) |
コーサラ国 | コーサラ国「パセーナディ国」 首都シュラーヴァスティー(舎衛城・しゃえいじょう) 教団本部サヘート・マヘート(祇園精舎・ぎおんしょうじゃ) |
入滅した涅槃の場所 | クシナガラ |
実在したブッダの教え原始仏典
ブッダ入滅後、暴言をはく修行者がいたので、今後の仏教僧団の行方に不安を感じて、
マハーカッサパ長老が500名のブッダの選りすぐりの阿羅漢(悟りの境地を体現した修行完成者)の弟子を集めて、みんなで声を出し合う、合誦(ごうじゅ)で、教えの内容を徹底的にすり合わせをしました。
阿羅漢みんなで確認してまとめた、「ブッダの教え」を基盤として、今後の仏教僧団を一つにまとめていくことになります。その初期の頃の教えを編成してまとめてパーリ語で聖典にしたのが原始仏典です。
原始仏典の中身は、3つの蔵(三蔵)
・戒律の「律蔵・りつぞう」
・ブッダの教えの「経蔵・けいぞう」
・法をまとめた「論蔵・ろんぞう」
に分類して編成されています。
(参考:原始仏典とは「三蔵」の中身は?)
現在のインドでのストゥーパ(仏舎利塔・ぶっしゃりとう)
サーンチ(インド世界遺産)
ボーパールの東北に位置する小さな村サーンチーにある、インド最古の仏教遺跡です。アショーカ王の仏塔(ストゥーパ)がほぼ完全な形で残されていることで有名です。インドの仏教遺跡において重要なものとして、大ストゥーパや周囲の仏教建築物が1989年、ユネスコ世界遺産として登録されました。
世界遺産オンラインガイドより引用
サールナート(鹿野苑・ろくやおん)
ブッダがブッダガヤで成道して、初めて説法をした地(初転法輪)のダーメークストゥーパです。
現在日本で拝める仏舎利
覚王山日泰寺(かくおうざんにったいじ)
住所:愛知県名古屋市千種区法王町1-1
日本で唯一のいずれの宗派にも属さない日本の全仏教徒のための寺院で、釈尊(お釈迦さま)のご真骨をタイ国(当時シャム国)より拝受し、仏教各宗代表が協議し奉安する為に1904年(明治37年)に建立された。釈尊を表す「覺王」を山号とし、日本とシャム(暹羅)国の友好を象徴して覺王山 日暹寺にっせんじとして創建された。その後、昭和14年(1939年)シャム国のタイ王国への改名に合わせて、昭和17年(1942年)日泰寺に改名された。よって、運営に当っては現在19宗派の管長が輪番制により3年交代で住職をつとめ、各宗の代表が役員として日常の寺務に携わっている。
覚王山日泰寺HPより引用
名古山霊苑(なごやまれいえん)
兵庫県姫路市名古山町14-1
名古山霊苑は、世界文化遺産国宝姫路城の西北約1キロメールのところにある墓地公園です。中央山頂には鉄筋コンクリート造、白亜の連立ドームの仏舎利塔(高さ36.7メートル)を中心に噴水池や石仏堂が立ち並んでいます。
仏舎利塔には世界平和を祈念するインドの故ネール首相より、昭和29年4月13日に贈られた仏舎利が安置され、その周囲を金色に輝く厨子や鳳凰、様々な仏像が立ち並ぶ仏教芸術をご覧いただけます。
名古山霊園HPより引用
・富士仏舎利塔平和公園
住所:静岡県御殿場市東田中3422
・花岡山公園
住所:熊本市西区横手2丁目