この「大日経」(だいにちきょう)世間成就品第五(せけんじょうじゅぼん)は、角川文庫「全品現代語訳 大日経」著者:大角修先生の本を主に参考にして、ほぐし読みにしました。
「第一品の解説↓」と照らし合わせてみて下さい。

前回、大日如来は、金剛薩埵の二番目の質問の回答にあたる
「真言を宣言する」ことを告げました。↓

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「大日経」世間成就品第五(せけんじょうじゅぼん)
世間成就品第五(せけんじょうじゅぼん)
《大日如来がさとりの成就する方法を伝えます。》
大日如来は金剛薩埵に伝えます。
真言教法を行ずれば、さとりを成就するでしょう。
「菩薩の修行52段階」でいうと、さとりの成就は「妙覚」のことでしょうか?
下に菩薩の修行52段階の表もつけてあります!
先ほどの真言の、字と字、句と句は相応にして結合する。,
一心に念誦しなさい。
第一に、
「字」は、菩提心を示します。
第二に、
「声」は、各々の場所で真言の句を思うところに本尊がある。
第三は、
《月輪観(がちりんかん)の瞑想方法》
真言の句はまさに諸仏の勝句であると知らねばならない。
行者は自身が円浄の月輪(がちりん・満月のこと)のなかにいると観じなさい。
そして、
月輪中に真言の諸字と句を明らかに観じ、命である風を清めよ。
風とは息のことで、思念は出入する息にしたがう。
そのように浄化しおえたら、
まず、ひと月、真言を念誦する。
次の月は、塗香と花を献じる。
正覚のさとりを成じるために、
「自らの菩提に廻向」
すること。
真言は畏れるもののない無畏となるでしょう。
「六つ不安のない」六無畏(ろくむい)の事でしょうね!
第一品の「六無畏」を参考にしてください!
次に、行者は真言を持誦して、マンダラを描いて堅固に成就法を修めなさい。
そうすれば、
夜半もしくは日の出の時刻に、智ある者は「フーム」の声、あるいは鼓の音が虚空にひびき、地が震動するのを知り、
成就は意の如くであるのを知るでしょう。
諸仏はそれを「修行の果」として説かれている。
だから、常に真言を念持しなさい。
これは過去の仏から説かれたことなので、よく心にとどめなさい。
《「大日経」世間成就品第五(せけんじょうじゅぼん) おわり》 つづく
金剛薩埵の質問1,2,3の回答を考察
考察①第一品に出てくる「三句の法門」も合わせて考えると、
「三句の法門」とは、
- 菩提心が因、
- 大悲を根、
- 方便を究竟(くきょう)
如来の智慧で、法門です。
金剛薩埵の3つの質問と大日如来の回答を照らし合わせると、
1,曼荼羅の道場にて真言行を修する者は、煩悩などの障礙(しょうげ)をいかに浄め除くのでしょうか?
⇒菩提心を念じる『①不動明王を念じる=因』
2,真言行を修する者は、障礙をおこすことがなくなるのでしょうか?
⇒諸尊の真言を唱える。『②真言で障礙を取り除く=大悲の根』
3,真言行を修する者は、いかなる果を成就するのでしょうか?
⇒障礙を真言で浄めて畏れるものがなくなるのが、
修行の果の
「意の如くできることを知る=妙覚に自ら至ることができる」
自分のこころの障礙を意の如く浄めるために、
常に「自分の菩提に廻向して」修める必要がある。
そのために、
⇒『③真言やマンダラを描くのが=究極の方便』
と考えてみました。
「三句の法門」の考察は、
- 菩提心が因、⇒菩提心を念じる(不動明王を念じる=因)
- 大悲を根、⇒諸尊の真言を唱える。(真言で障礙を取り除く=大悲の根)
- 方便を究竟(くきょう)⇒真言やマンダラを描く
如来の智慧で、法門です。
④成就である果は⇒妙覚に自ら至ることができる
そのことは
自性清浄の自己(宇宙の真理大日如来と同じこと)に気づく
秘密の真言やマンダラを描くことが目的ではなく、
それらは方便の手立てで、
最終目的地は、
自分の心は自性のない浄らかな、大日如来の心(宇宙全体の自然の成り立ちで生かされていること)を観じていく修法が密教の教え、
逆に言うと、
真言・陀羅尼はもともとは意味がないので、
意味のない(自性清浄の言葉)を繰り返し繰り返しとなえても、
「自分のこころから怒りや貪りがでてくることに気づかなければならい修行」かな?とも思いました。
なぜなら、
自分の中の障礙である「貪・瞋・痴」を取り除くことが教えられています。
自己の悪いことに気づいて取り除くのは原始仏典のブッダの教えと同じ修行だと感じました。
痴は無知
怒りが自分からでてることに気づいていない事で、
怒りを持たなくていいことに気づいていない。
貪る必要がないことに気づいていない。
畏れることも必要がないことに気がついていない。のが無知。
を教えてくれているのがこの「大日経」だと「現時点」でのぼーさんの感想です。
ねぇ、ぼーさん!大日如来さんも慈悲の教えでやさしさがいっぱいだね!
ほんとだね、えん坊!
生きとし生けるものの「畏怖を取り除く教えと修行方法」だね!
ほんと優しい教えだね!
でも、お経の題名は、「世間成就」だから、「出世間の成就」もあるかもね!
秘密がいっぱいだから、こんなことも考えてみたよ。
考察②お経の題名から考察すると
お経の題名が「世間成就品」なので、
「自らの菩提に廻向」することと言っているのは、
菩薩の修行52段階の「十廻向」の成就なのかもしれないです。
■十廻向(じゅうえこう)
一切衆生のために功徳を向けて、さとりに向かおうとする位
40 | 入法界無量廻向 |
39 | 無縛無著解脱廻向 |
38 | 真如相廻向 |
37 | 等随順一切衆生廻向 |
36 | 随順一切堅固善根廻向 |
35 | 無尽功徳蔵廻向 |
34 | 至一切処廻向 |
33 | 等一切諸仏廻向 |
32 | 不壊一切廻向 |
31 | 救護衆生離衆生相廻向 |


表で判断すると、「十廻向」で「凡」から抜け出て、次の「聖」の境地の「十地」に入るので、
世間でなすべきことを成就した教えかもしれないですね!
まだまだ秘密がいっぱいだから、つづきも見ていきましょう!

