「マンガ」原始仏典

「六師外道」サンジャヤ・ベーラティプッタ(詭弁論)マンガ原始仏典

サンジャヤ・ベーラティプッタ

六師外道「サンジャヤ・ベーラティプッタ」

「詭弁論者」(きべんろんしゃ)

サンジャヤ・ベーラティプッタ
サンジャヤ・ベーラティプッタ2
サンジャヤ・ベーラティプッタ3
サンジャヤ・ベーラティプッタ4

六師外道(ろくしげどう)

六師外道(ろくしげどう)とはブッダ当時活躍していた沙門の修行僧たちで、仏教(ブッダの教え)と違う考えの見解なので、仏教の外の道(外道)と呼ばれています。

ぼーさん
ぼーさん
当時のバラモン以外の出家者の沙門たちは、ウパニシャッド(奥義書)、バラモン教の最高神で宇宙を司る神のブラフマン(梵・ぼん)と、自分自身を司る神のアートマン(我・が)とが一体化(梵我一如・ぼんがいちにょ)することで、輪廻(りんね)からの解脱を目指す思想をもっていました。

ブッダはこの自我の「我・アートマン」の存在を徹底的に否定しています。それが長部経典第一経「梵網経」から始まっているのですね!

原始仏典にでてくるサンジャヤ・ベーラティプッタ

長部経典 第二経「沙門果経」

アジャータサットゥ王子が、「目に見える形の修行の成果」の質問をして、サンジャヤ・ベーラティプッタが回答したのが、

彼の回答は、「もしあなたがわたしに、ほかの世界は存在するか?と質問したとすると、私はほかの世界は存在すると答えるでしょう。しかしわたしはそうはしません。その通りだとわたしは考えないし、別であるとも考えません。そうではないとも、そうではないのではないとも考えません。また、他の世界は存在するのかしないのか? 天の世界に天人は存在するかしないのか?善悪の業に報いはあるのかないのか?悟りを開いた人の死後は存在するのかしないのか?と質問されても、そうではないとも、そうではないのではないとも考えません。」と「錯乱したこと」を説明しました。

ぼーさん
ぼーさん
うなぎのように掴みどころがない話をする、詭弁論者とでてきます。

えん坊
えん坊
沙門果経の解説にサンジャヤの弟子250人もブッダの弟子になったって出てくるね!その中に、後のブッタの二大弟子サーリップッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)がいたんだね!

中部教典 第七六経「サンダカ経」

「第四の安息を与えない清らかな行い」

他の師は愚純であり、愚純であるために、質問が問われたとき、ことばの混乱に陥り、「わたしはこのようでもない。わたしにはそのようでもない。わたしにはそれは違うのでもない。そうでないというのでもない。そうでないのでないというのでもない。」と詭弁を論じる。

 

マンガの中での回想(※仏典とはいっさい関係ありません。)

えん坊「ねぇぼーさん、今日あたまにうなぎを巻いたおもしろい人がいて、お話もおもしろかったよ!」

ぼーさん「へーぇ!どんな会話したの?」

えん坊「まぁ~そのぉ~、ちょっちゅねぇ~、だぃたぃやねぇ~、こんなんでました!、さいならさいなら!みたいなこと話してたよ!」

ぼーさん「それって、まぁ~そのぉ~(田中○栄)、ちょっちゅねぇ~(具志堅○高)、だぃたぃやねぇ~(武村○一)、こんなんでましたけどぉ!(泉ア○ノ)、さいなら、さいなら、さいなら!(淀川○治)さんの特徴ある話し方の人の、ものまねじゃない?(笑)、しかし古いネタだねぇ・・・。」

 

《*四コマ目のどうでもいい解説》
 サンジャヤの弟子当時のサーリプッタは智慧が弱く、葉っぱも下に掲げて持っています。モッガラーナも神通力がひらいてないので、蓮を手の平に置いています。そこに、えん坊がなにもかんがえていないのですが、無意識に適材適所の判断を察知して、二人をブッダのところへ導くのでした。めでたしめでたし。一件落着。では、さいなら!さいなら!さいなら!あっ、ぼーさんサンジャヤの弟子入りか、、、。

サンジャヤででてくるマンガ↓

六師外道が出てくるお経↓

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えん坊
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ぼーさん
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