目次 クリックでジャンプ
四門出遊(しもんしゅつゆう)とは
ブッダの出家するエピソードです。
四門遊観(しもんゆうかん)とも言われます。
ブッダが出家を決意するエピソード
ブッダは生きることに対して思い煩う性格だった幼少期でした、
釈迦族の跡継ぎの王子として、何不自由なく育てられたのですが、
青年になっても「生きることへの苦しさ」は変わることがありませんでした。
ある時、自分の国の城の外の世界を見に行こうと侍者を連れて馬車に乗ったところ、
東の門にいき、そこで「老人」をみて、
南の門にいき、そこで「病人」をみて、
西の門にいき、そこで「死人」をみて、
若きシッダールタ王子は侍者に尋ねます。
「あの者はどうして年老いてるのですか?どうして病気になっているのですか?どうして死んでいるのですか?みんなあのようになるのですか?」
侍者は答えます
「はい、みんなあのように年老いて、病気をして、死んでしまいます。王子もおなじく避けれない運命です。」
生きることに対しての思い患いはさらに深まるなかで、
北の門にいき、そこで静謐(せいひつ)な所作の「出家者」をみました。
生きることにたいする「苦」から離れた僧侶の姿をみて、王子の身分を捨てて、出家を決意しました。
これが四つの門から、生きるものの避けて通ることができない苦の「生老病死」(しょうろうびょうし)を見た四門出遊のエピソードです。
原始仏典に出てくる出家のエピソード
長部経典 第14経 大本経(大アパナーダ)
ブッダが過去世のヴィパッシンの時代に、出家者(道をすすむ者)をみて、話しかけ「すばらしいと出家する」法に通った所作、静謐(せいひつ)な所作、道徳的な所作、福徳ある行い、何物も害さない、生けるものへの憐れみがすばらしいと思い出家したとエピソードが出てきます。
長部経典 第16経「大般涅槃経」
「何かしらの善をもとめて出家した」とスバッダに話しています。
中部教典 第26経「聖求経」*とても詳しく書かれています。
「わたしはさとりを得る以前に、
みずから生まれるものでありながら、生まれるものだけを求め、
みずから老いるものでありながら、老いるものだけを求め、
みずから病めるものでありながら、病めるものだけを求め、
みずから死ぬものでありながら、死ぬものだけを求め、
みずから憂いるものであり、みずから汚れるものだけを求めていた。
わたしは思った。
いったいどうして、
みずから生まれ、老いて、病んで、死んで、憂い、汚れるものでありながら
みずから生まれを求め、老いを求め、病むのを求め、死ぬのを求め、憂いを求め、汚れを求める生き方をしているのであろうか。
わたしはみずから生まれるものであるけれど、生まれるものに煩いを知り、
生まれることのない無常の安らぎのニルバーナ(涅槃・ねはん)を求めようではないか。」
色んな経典にブッダの出家のエピソードがでてきています。若きころのブッダは「苦」の解決を求めて出家したのがわかります。
「図解」1.実在したブッダ