原始仏典にでてくる、ブッダの苦行と成道のエピソード 第36経「マハーサッチャカ経」第26経「聖求経・せいぐきょう」をマンガにしました。経典にでてくるブッダの教えも「図解」にしてます。
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中部教典 第36経「マハーサッチャカ経」ブッダの苦行と成道と説法放棄!?(第26経「聖求経・せいぐきょう」は補足)
「身体の修行と心の修行」



《原始仏典 中部教典 第36経「マハーサッチャカ経」》
中部教典 第36経「マハーサッチャカ経」は、
六師外道の一人、ニガンタ・ナータプッタの子供のサッチャカがブッダに
「心の修業をしてるが身体の修行をしていない。」と批判を言います。
すると、ブッダがサッチャカにその理由を回答する内容のお経です。

《ブッダはニガンタの子サッチャカに答えます。》
「わたしは成道する前に、
バラモン以外の出家者のアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタに瞑想の境地の教えを受けたが、涅槃に至らなかったのです。
そして、苦行を誰よりも頑張りました。しかし、その苦行でも涅槃に至らなかったので、苦行をも放棄しました。」
と話をします。
そして、『かって聞いたことがない三つの比喩』がひらめいたことを、
サッチャカに答えます。

《3つの生木の比喩でこたえます。》
1、欲望が捨てられない者は、「水の中にあった湿った生木に、火をつけるようなもの」
2、欲望が捨てられない者は、「水から遠く離れた陸地で、湿った生木に火をつけるようなもの」
沙門であれ、バラモンであれ、
身体によって欲望の対象から離れることができていない者は、
激しい苦の感受を受けようが、受けまいが、
知見で無上等正覚に到達することはできません。
3、欲望が捨てられている者は、「水から離れた陸地で、乾いた枯れ木に火をつけるようなもの」
沙門であれ、バラモンであれ、
身体によって欲望の対象から離れることができている者は、
激しい苦の感受を受けようが、受けまいが、
知見で無上等正覚に到達することができます。
と比喩を伝えてから、
《ブッダが実践した苦行を回想して伝えます。》
そして、誰よりも厳しい苦行を実践してもさとれない時に、
父王の種まき祭の時に、樹の木陰にすわり、欲望と不善を離れ、
初禅に座っていたのを思い出しました。
「これがじつにさとりにおもむく道ではないだろうか」と思い、
(スジャータから)米の粥(かゆ)を供養してもらい、
《四禅の瞑想をして、成道のエピソード語ります。》
夜の初更に「宿命智・しゅくめいち」、
夜の中更に「天眼智・てんがんち」、
夜の最後に「漏尽智・ろじんち」
の神通力を獲得して、
四つの苦の真理「四諦・したい」を如実に知りました。
「煩悩を捨てられないから迷妄(めいもう)がある。煩悩をすてたら再生はない。」
と成道したエピソードが明細に書かれているお経です。




