マンガ「説話集」マハーカッサパとブッダの涅槃
前回、《カッサパの決集の決心》で暴言比丘のスバッダを見たカッサパは、他の長老たちに集まることを促します。
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第一結集「開催」と最期涅槃に入る マハーカッサパ・大迦葉(だいかしょう)マンガ仏教説話




《マハーカッサパ結集を開催する》
長老たちは、世尊の説かれた規律と法を確かめる集まりに賛成してカッサパに伝えます。
「誰と誰を選ぶかはマハーカッサパ尊者よ、あなたがお決めください。」
こうして非常に大きな集まりがもたれることになりました。
この集まりを結集(けっじゅう)といいます。
マハーカッサパによって結集に加わる長老が499人選ばれました。なぜ五百人に一人足りないのかある長老が尋ねてカッサパは答えます。
アーナンダのために座を開けているのです。アーナンダはいつも世尊のおそばで世尊の教えを聴いていました。そのうえ記憶力も優れています。アーナンダなしでは今度の結集を開くことはできないからです。カッ!
ただ、困ったことに、彼はまだ完全な悟りを開いていないのです。そのために数に加えられないのです。(汗)
修行中の身ではありましたが他の長老たちの勧めもあり、アーナンダもこの集まりに加えられることになりました。
その知らせを聞いたアーナンダは結集の前の夜に、身に余る光栄に震える心を静めながら床に就こうとしたとき、たちまちにして悟りを開きました。
昨夜、悟りました。世界が違います~。
《第一結集》
いよいよ、結集の当日がやってきました。499人の長老たちは定められた席に着きましたが、席は一つだけあいていました。アーナンダの席でした。その朝、アーナンダは悟りを開いたことを知らせるために大地の中から姿を現しました。それをみて他の長老たちは彼が悟りを開いたことを知ったのでした。
余談ですが、大乗仏教の法華経の「従地誦出品第十五」に地中から菩薩が涌き出るエピソードがありますね。
いよいよ結集が始まりました。まず初めに話し合われたのは、僧団の規則である律と世尊の教えである経とのいずれを先にするかであったが、律を先にすることになって、律に詳しいウパーリが選ばれました。マハーカッサパがウパーリに尋ねました。
「この律は、いつ、どこで、どんな理由で制定されたか?」
この問いにウパーリがひとつひとつ答え、長老たちは誤りのないことを承認しあう形で進められました。
律の確認が終わるとアーナンダによって経が唱えられました。
「アーナンダよ、この経はいつ、どこで、だれのためにどんな理由で説かれたものか」
この問いにアーナンダが一つ一つ答え、長老たちによって確認され、こうして第一結集が終了したのでした。
《マハーカッサパの死》
マハーカッサパは僧団の二本柱であったサーリプッタとモッガラーナの二人の亡き後、僧団の大長老として世尊に仕え、世尊の死後は僧団の統率者として僧団を守りました。
結集という大事業を成し遂げて二十年ほど過ぎたころ、涅槃にはいることを決意します。
まず世尊の遺骨を祭ってある八つの塔を礼拝し、アーナンダをはじめ長老たちに別れを告げました。正しい教えを受け継ぎ守ってほしいとアーナンダに託してからある山に登りました。
そして三つの峰の間に草を敷いてその上に座り、世尊の衣と鉢を捧げ持って
「わたしは今から五十六七千万のあと、弥勒菩薩が仏としてこの世に出られる時まで体が腐乱しないでいることを願い、弥勒仏を拝み、そのお弟子たちをみて、ともに生きとし生けるものを教え導こう」
と願いながら合掌しました。
すると三つの峰々は音をたててマハーカッサパのほうに崩れかかり、マハーカッサパを埋めるようにして一つに合わさったのでした。
《マハーカッサパ 完》

この「結集」がなければ、今の仏教は存在しなかった。
このカッサパの大事業の「結集」は見落とされがちなのですが、
この結集がなければ、今の仏教は存在しなかったのです。
ここは所感になるのですが、前回のエピソード、
「ブッダが荼毘されても、カッサパが来るまで燃えなかった」のは
ブッダが燃えて消えてしまうと、仏法も消えてしまうので、
カッサパが来るまでブッダが燃えるのを待っていたと読み取れます。
そして、ブッダが燃えて消えても、
「カッサパによって仏法が消えないように、ともし火を掲げる」エピソードだと感じました。
この暴言比丘のスバッダもいなければ、カッサパも結集をしようとは思わなかったと思うと、「良い人、悪い人」をその時だけで決めて判断するのではなく、生きとし生けるものに対して、慈悲喜捨の気持ちをもって対応する。
そして、「自灯明・法灯明」のブッダの最期の言葉にあるように、やはり自己の修養のためにブッダの教えを実践する内容だと理解できます。
このことは、暴言比丘のスバッダについて後のことは何も書かれていない(=非難も苦言もされていない)のですが、前回のもう一人の押しかけてきた遍歴行者のスバッダのエピソードでは、他人を変えるのではなく、自己の修養することできちんと「さとれる」と書かれていることでもわかります。
原始仏典はほんとうによく出来た内容で読めば読むほど面白いですよ。
第一結集(だいいちけっじゅう)について
この集まりで戒律が制定されていきます。
なぜ戒律から先に決めたのか修行僧の段階など、
詳しくはこちらに図解で解説してありますのでどうぞ↓


