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自我偈(じがげ)のお経「如来寿量品第十六」(にょらいじゅりょうほん)法華経(ほけきょう)ほぐし読み⑯

「如来寿量品第十六」(にょらいじゅりょうほん)
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この法華経(ほけきょう)「如来寿量品第十六」(にょらいじゅりょうほん)ほぐし読みは、「大乗仏教」の妙法蓮華経を、大まかにほぐし読みに整理しました。

法華経「図解①」.法華経「図解②」と照らし合わせてみて下さい。

第十六章「如来寿量品第十六」(にょらいじゅりょうほん)

前回、「従地涌出品第十五」では地下からたくさんの菩薩が出現しました。

「従地涌出品第十五」(じゅうじゆじゅつほん)
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*この十六品は法華経全体を二つに分けた「二門」でいう、

「本門」の正宗分(しょうしゅうぶん)で法華経の核心とされていてとても重要な経典になると言われています。

図解①で法華経全体を確認してみてください!

「図解」法華経①
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第十六章「如来寿量品第十六」(にょらいじゅりょうほん)

アーナンダ
アーナンダ
わたくしアーナンダは如是我聞しました!漢訳なので漢字なのです!

《ブッダは一切の求法者につげました。》

「如来の誠諦(じょうたい)であるまことの言葉を信解すべし」

実は、わたしが成仏したのは、とてもとても計り知れないほどの過去の事なのです。

今まで方便を使って、人々を強化して仏道に入れるためにそう説きました。

わたしの寿命は無量阿僧祇(むりょうあそうぎ)の劫に及び、常住にして不滅なのです。

ぼーさん

漢訳では「常住不滅」と表現されています。サンスクリット語訳にも常住にして不滅とでてきます。

原始仏典の第一経「梵網経」ではブッダは常住論を否定しています。ブッダの教えの根本的な解釈に大きな違いがみられる箇所ですね。

それなのに、「今まさに滅度するであろう」と告げたのは方便であって教化のためです。

なぜなら、いつでも仏が世にいているのならば、

人々は仏に遭い難いと感じることもなく、

歪んだ思いの億想の妄見(おくそうのもうけん)になり、

おごりである憍恣(きょうし)の心をおこし、

なまけ心の厭怠(えんたい)を抱いて、

敬い慕う恭敬(きょうけい)の心をもつことができません。

そして、ブッダはたとえ話で伝えます。

【良医治子の譬喩】(ろういじしのひゆ)

良医治子の譬喩(ろういじしのひゆ)如来寿量品第十六

【良医治子の譬喩】(ろういじしのひゆ)

医者の父が留守中に、

子供たちが誤って毒を飲んでしまい、苦しみます。

父が戻り薬を与えても、

毒がまわって心が顛倒(てんどう)して薬を飲みません。

父は方便を使い、家に薬をおいて家を出ていきます。

そして、使いの人に「父は死んだ」と告げさせます。

父が死んだと聞いた子供たちは悲しみ、

もう父親に頼ることはできないと思い、

薬を自ら飲んで元気になります。

子供たちが苦しみから逃れたのをしると父親は戻ってきました。

わたしもそのようなものです。

こころが顛倒している人々には近くにいながら姿を見えなくして、

人々にわたしが入滅したと見させて仏舎利を供養させ、

そうすることで人々は仏を慕うこころが目覚めます。

人々にその想いがでれば、わたしは出現するのです。

わたしは常にここに在り、滅せず、仏の方便で滅と不滅を現すのです。

「どのようにして人々を無上道に入らせて、すみやかに仏身を成就させようか。」を常に念じているのです。

そして、

ブッダが偈をときます。

自我偈(じがげ)

ぼーさん

※漢訳とサンスクリットの訳を読みあわせて、1行単位でほぐしてみました。青文字の部分です。

「日本の仏教で難しく感じるお経」の内容の理解につながりますよ!

自我偈(じがげ) 

自我得仏来(じがとくぶつらい) ほとけのさとりを得て

所経諸劫数(しょきょうしょこうしゅ) 長い劫が経つ

無量百千万(むりょうひゃくせんまん) 何千万回ものあいだ

億載阿僧祇(おくさいあそうぎ)とてもながい間、

常説法教化(じょうせっぽうきょうけ)常に法を教化してきた

無数億衆生(むすうおくしゅじょう)たくさんの人々に

令入於仏道(りょうにゅうおうぶつどう) 仏の道に入らせるために

爾来無量劫(にらいむりょうこう)とてもながいあいだ

為渡衆生故(いどしゅじょうこ) 衆生をさとらせるために

方便現涅槃(ほうべんげんねはん)方便で涅槃を現した

而実不滅度(にじつふめつどう)しかし涅槃で滅度していなかった

常住此説法(じょうじゅうしせっぽう)常にこの世界にいて説法した

我常住於此(がじょうじゅうおうし)常にこの世界にいてたのは

以諸神通力(いしょじんつうりき)神通力をもってした

令顛倒衆生(りょうてんどうしゅじょう)衆生は顛倒(真理と逆の見方を)しているので

雖近而不見(すいごんにふけん)近くにいても見ることができない

衆見我滅度(しゅうけんがめつど)ブッダが滅度したと思っていて

広供養舎利(こうくようしゃり)舎利供養をして

咸皆懐恋慕(げんかいえれんぼ)心に懐かしく思い

而生渇仰心(にしょうかつごうしん)深く仰ぐこころが生まれ

衆生既信伏(しゅうじょうきしんぷく)衆生はすぐ信じて

質直意柔軟(しちじきいにゅうなん)心が柔和になり

一心欲見仏(いっしんよくけんぶつ)一心にほとけを望むなら

不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)自らの身体を惜しまなければ、

時我及衆僧(じがしゅうしゅうそう)わたしブッダと衆僧は

俱出霊鷲山(くしゅつりょうじゅせん)霊鷲山に現れます。

我時語衆生(がじごしゅじょう)我ときどき衆生に語る

常在此不滅(じょうざいしふめつ)つねにここにあって滅していない

以方便力故(いほうべんりきこ)方便の力を使ったのです

現有滅不滅(げんうめつふめつ)滅していなくて人間界にあらわれるのです

余国有衆生(よこくうしゅじょう)他の国に衆生がいるときも

恭敬信楽者(くうぎょうしんようしゃ)恭敬し信じる者には

我復於彼中(がぶおひちゅう)我また彼の中において

為説無上法(いせつむじょうほう)無上の法を説く

汝等不聞此(にょうとうふもんし)汝これを聞かずして

但謂我滅度(たんにがめつえど)ただ我ブッダは滅度したと思った

我見諸衆生(がけんしょしゅじょう)我もろもろの衆生を見れば

没在於苦海(もつざいおうくかい)苦海に没在するのを見る

故不為現身(こふいげんしん)そのために身を現さずに

令其生渇仰(りょうごしょうかつごう)(仏が現れるように)渇仰を生じさせ

因其心恋慕(いんごしんれんぼ)その恋慕することによって

及出為説法(ないしゅついせっぽう)出て法を説く

神通力如是(じんつうりきにょぜ)神通力のように

於阿僧祇劫(おうあそうぎこう)長い年月の間

常在霊鷲山(じょうざいりょうじゅせん)常に霊鷲山にいて

及余諸住処(ぎゅうよしょじゅうしょ)住んでいた

衆生見劫尽(しゅじょうけんこうじん)衆生の劫がつきて

大火所焼時(だいかしょしゅうじ)大火に焼かれるときも

我此土安穏(がしどあんのん)我ブッダの土地は安穏としている

天人常充満(てんにんじょうじゅうまん)常に天人が満ちている

園林諸堂閣(おんりんしょうどうかく)園の林や、いろんな堂も

種種宝荘厳(しゅじゅうほうしょうごん)種々の宝が荘厳して

宝樹多華果(ほうじゅたけか)宝の樹には華・果が多く

衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)(我ブッダの地の)衆生は遊楽する

諸天撃天鼓(しょうてんきゃくてんく)諸天は太鼓をたたき

常作衆伎楽(じょうさしゅうぎがく)常に伎楽をつくり

雨曼陀羅華(うまんだらけ)まんだらけの雨がふり

散仏及大衆(さんぶつぎゅうだいしゅう)仏と弟子の大衆に散らす

我浄土不毀(がじょうどふき)我ブッダの浄土が

而衆見焼尽(にしゅうけんしょうじん)衆の人は焼け尽きたとみて

憂怖諸悪悩(うふしょうあくのう)怖く、悪のように憂いて

如是悉充満(にょぜしつじゅうまん)充満する

是諸罪衆生(ぜいしょうざいしゅうじょう)罪ある衆生は

以悪業因縁(いあくごういんねん)悪い因縁で

過阿僧祇劫(かあそうぎこう)ながい間

不聞三宝名(ふもんさんぽうみょう)仏法僧の三宝を聞くことがなかった

諸有修功徳(しょうしゅうくどく)功徳を修した

柔和質直者(にゅうわしちじきしゃ)柔和で正直な者には

則皆見我身(そくかいけんがしん)我の身を見て

在此而説法(ざいしにせっぽう)ここにいて説法を説いているのをみる

惑時為此衆(わくじいししゅう)あるときは衆のために

説仏寿無量(せつぶつじゅむりょう)仏の寿命は無量と説き

久及見仏者(くないけんつぶつしゃ)仏を見た者にも

為説仏難値(いせつぶつなんち)仏に遭うのは難しいと説く

我智力如是(がちりきにょぜ)我の智力はこのように

慧光照無量(えこうしょうむりょう)無量に輝き

寿命無数劫(じゅみょうむしゅこう)寿命がながいのは

久修業所得(くしゅうごうしょとく)修行をして得た

汝等有智者(にょとううちしゃ)汝ら智あるもの

勿於此生疑(もっとししょうぎ)疑いが生まれても

当断令永尽(とうだんりょうようじん)尽きて捨てよ

仏語実不虚(ぶつごじつふご)仏の言葉に嘘はない

如医善方便(にょいぜんほうべん)(良医治子の譬喩の)医者のように

為治狂子故(いじおうしこ)狂った子を治すため

実在而言死(じつざいにごんし)死んだと言っても

無能説虚妄(むのうせつこもう)虚妄を説いたのではない

我亦為世父(がやくいせぶ)世の父として

救諸苦患者(くしょくげんしゃ)苦しむものを救う

為凡夫顛倒(いぼんぷてんどう)凡夫は真理と逆の見方をして

実在而言滅(じつざいにごんめつ)在ることも、滅したと言う

以常見我故(いじょうけんがこ)常に我があると見て

而生憍恣心(にしょうきょうししん)おごりの心をもって

放逸著五欲(ほういつじゃくごよく)五つの欲に放逸で

堕於悪道中(だおあくどうちゅう)悪道の中に堕ち

我常知衆生(がじょうちしゅじょう)我ブッダは常に衆生の

行道不行道(ぎょうどうふぎょうどう)道を行くのと、道を行かないのを

随応所可度(ずいおうしょかど)渡るところにしたがって

為説種種法(いせつしゅじゅほう)種々の法を説く

毎自作是念(まいじさぜねん)毎回、念を作り考える

以何令衆生(いがりょうしゅじょう)なにをもって衆生は

得入無上道(とくにゅうむじょうどう)無上のさとりを得て

速成就仏身(そくじょうぶつぶつしん)すみやかに仏の身を成就するのかを

《如来寿量品第十六 おわり》つづく

えん坊&プーニャ
えん坊&プーニャ
ぼーさん、簡潔に訳してみると、読経されるお経の意味も理解がしやすくなるね!!!

しかし、たとえ話の内容は変だね・・・。(-“-)

ぼーさん
ぼーさん
ほんとうだね。えん坊。やっぱりわかりやすいほうがいいよね!

この16品の自我偈では、

『以悪業因縁(いあくごういんねん)悪い因縁で

過阿僧祇劫(かあそうぎこう)ながい間

不聞三宝名(ふもんさんぽうみょう)仏法僧の三宝を聞くことがなかった』

悪い因縁で、三宝を聞けなかったんだね!

さらに

『為凡夫顛倒(いぼんぷてんどう)凡夫は真理と逆の見方をして

実在而言滅(じつざいにごんめつ)在ることも、滅したと言う』

これも大乗のブッダが常住なのに、人々は不滅したと言っているのが四顛倒の意味になるね!

日本の仏教でいわれている内容がだんだん理解できてくるね!

続きも見てみよう!

大事な、常楽我浄と四顛倒はこちら↓

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