「原始仏典」 ほぐし読み

法の観察 もろもろの事象 五蓋・五蘊・六処 瞑想方法 大念処経⑤ほぐし読み ブッダの教え

大念処経⑤

「身受心」(しんじゅしんほう) もろもろの事象・法の観察

長部経典 第22経「大念処経」(だいねんじゅきょう)のほぐし読みの第5話のもろもろの事象の「法の観察」の「五蓋・五蘊・六処の観察」になります。大念処経は、すべてが瞑想の教えになります。頭の中で身受心法を実修しているイメージで読み進めることをおすすめします。長いお経ですので、段落で分けて紹介します。ピンク色の文字は図解で解説がありますので、図解↓と連動して読んでみて下さい。

アーナンダ
アーナンダ
世尊は身体の観察、感受の観察、心の観察の説法をしました。次に、わたくしアーナンダはこう聞きました!

『大念処経ほぐし読み①』はこちらです

《五つの蓋についての事象の観察》

それでは、修行僧たちよ、どのようにして五蓋について、五蓋を観察するのだろうか?

ここに修行僧たちよ、修行僧は、五つの蓋について事象を観察するのです。

内に欲望があるときに、「わたしの内には欲望がある」と知り、内に欲望がないときに、「わたしの内に欲望がない」と知るのです。

また、まだ生じていない欲望が生じるままにそれを知り、すでに生じている欲望が滅ぼされるままにそれを知り、すでに滅ぼされた欲望が未来に生じることがないということを知るのです。

あるいは内に、怒りがあるときに、「わたしの内には怒りがある」と知り、内に怒りがないときに、「わたしの内に怒りがない」と知るのです。

また、まだ生じていない怒りが生じるままにそれを知り、すでに生じている怒りが滅ぼされるままにそれを知り、すでに滅ぼされた怒りが未来に生じることがないということを知るのです。

あるいは内に、こころの落ち込みと眠けがあるときに、「わたしの内にはこころの落ち込みとねむけがある」と知り、内にこころの落ち込みとねむけがないときに、「わたしの内にこころの落ち込みとねむけがない」と知るのです。

また、まだ生じていないこころの落ち込みとねむけが生じるままにそれを知り、すでに生じているこころの落ち込みとねむけが滅ぼされるままにそれを知り、すでに滅ぼされたこころの落ち込みとねむけが未来に生じることがないということを知るのです。

あるいは内に、こころの浮つきと後悔があるときに、「わたしの内にはこころの浮つきと後悔がある」と知り、内にこころの浮つきと後悔がないときに、「わたしの内にこころの浮つきと後悔がない」と知るのです。

また、まだ生じていないこころの浮つきと後悔が生じるままにそれを知り、すでに生じているこころの浮つきと後悔が滅ぼされるままにそれを知り、すでに滅ぼされたこころの浮つきと後悔が未来に生じることがないということを知るのです。

あるいは内に、疑惑があるときに、「わたしの内には疑惑がある」と知り、内に疑惑がないときに、「わたしの内に疑惑がない」と知るのです。

また、まだ生じていない疑惑が生じるままにそれを知り、すでに生じている疑惑が滅ぼされるままにそれを知り、すでに滅ぼされた疑惑が未来に生じることがないということを知るのです。

このように、内に、自分自身の五蓋ついて五蓋を観察し、また、客観的に自分の五蓋について五蓋を観察し、あるいは内と外、自分自身の五蓋について五蓋を観察していくのです。

また、五蓋の中で生起してくる現象を観察し、また、五蓋の中で消滅する現象を観察し、また、五蓋の中で生起し消滅していく現象を観察していくのです。そして、観察して知った分だけ、観察して記憶した分だけ、「ただ事象のみが存在する」という念(おも)いが、自分自身には現れてくるのです。

そうすると、なにかに依存するということがなく、この世のなかで、なにものにも執着しないのです。

修行僧たちよ、修行僧はこのようにして、もろもろの事象の五蓋について、事象を観察するのです。

《個人存在を構成する五つの執着の要素、五蘊(ごうん)について観察する》

またさらに修行僧たちよ、修行僧は個人存在を構成する五つの要素、五蘊(ごうん)について観察するのです。

修行僧は

物質的要素(色)とはこのようなものである。物質的要素の生起とはこのようなものである。物質的要素の消滅はこのようである。」

感覚的感受(受)とはこのようなものである。感覚的感受の生起とはこのようなものである。感覚的感受の消滅はこのようである。」

表象作用(想)とはこのようなものである。表層作用の生起とはこのようなものである。表層作用の消滅はこのようである。」

潜在的形成力(行)とはこのようなものである。潜在的形成力の生起とはこのようなものである。潜在的形成力の消滅はこのようである。」

識別作用(識)とはこのようなものである。識別作用の生起とはこのようなものである。識別作用の消滅はこのようである。」

修行僧は個人存在を構成する五つの執着の要素、五蘊(ごうん)について観察するのである。

このように、内に、自分自身の五蘊ついて五蘊を観察し、また、客観的に自分の五蘊について五蘊を観察し、あるいは内と外、自分自身の五蘊について五蘊を観察していくのです。

また、五蘊の中で生起してくる現象を観察し、また、五蘊の中で消滅する現象を観察し、また、五蘊の中で生起し消滅していく現象を観察していくのです。そして、観察して知った分だけ、観察して記憶した分だけ、「ただ事象のみが存在する」という念(おも)いが、自分自身には現れてくるのです。

修行僧たちよ、修行僧はこのようにして、もろもろの事象、五つの執着の要素の五蘊について、事象を観察するのです。

《六つの内外の認識領域、六処について観察する》

またさらに修行僧たちよ、修行僧は六つの内外の認識領域について観察するのです。

修行僧は

を知り、色かたちを知り、またその二つによって生じた束縛を知るのです。

いまだ生じていない束縛が生じるままにそれを知り、すでに生じている束縛が滅ぼされるままにそれを知り、すでに滅ぼされた束縛が未来に生じることがないということを知るのです。

また、を知り、音声を知り、またその二つによって生じた束縛を知るのです。

いまだ生じていない束縛が生じるままにそれを知り、すでに生じている束縛が滅ぼされるままにそれを知り、すでに滅ぼされた束縛が未来に生じることがないということを知るのです。

また、を知り、香りを知り、またその二つによって生じた束縛を知るのです。

いまだ生じていない束縛が生じるままにそれを知り、すでに生じている束縛が滅ぼされるままにそれを知り、すでに滅ぼされた束縛が未来に生じることがないということを知るのです。

また、を知り、味わいを知り、またその二つによって生じた束縛を知るのです。

いまだ生じていない束縛が生じるままにそれを知り、すでに生じている束縛が滅ぼされるままにそれを知り、すでに滅ぼされた束縛が未来に生じることがないということを知るのです。

また、身体を知り、触られるものを知り、またその二つによって生じた束縛を知るのです。

いまだ生じていない束縛が生じるままにそれを知り、すでに生じている束縛が滅ぼされるままにそれを知り、すでに滅ぼされた束縛が未来に生じることがないということを知るのです。

また、こころを知り、こころの対象を知り、またその二つによって生じた束縛を知るのです。

いまだ生じていない束縛が生じるままにそれを知り、すでに生じている束縛が滅ぼされるままにそれを知り、すでに滅ぼされた束縛が未来に生じることがないということを知るのです。

このように、内に、自分自身の六処ついて六処を観察し、また、客観的に自分の六処について六処を観察し、あるいは内と外、自分自身の六処について六処を観察していくのです。

また、六処の中で生起してくる現象を観察し、また、六処の中で消滅する現象を観察し、また、六処の中で生起し消滅していく現象を観察していくのです。そして、観察して知った分だけ、観察して記憶した分だけ、「ただ事象のみが存在する」という念(おも)いが、自分自身には現れてくるのです。

修行僧たちよ、修行僧はこのようにして、もろもろの事象の、六つの内外の認識の領域について、事象を観察するのです。

ほぐし読み⑤ここまでおわり
身(身体は不浄)受(感受は苦)心(こころは無常)法(あらゆる物質は無我)
「四念住」の「法の観察」「もろもろの事象の観察」の「五蓋」

  • 身受心法の「法」を観察する瞑想です。
    もろもろの事象の「法」を観察していく瞑想部分になります。

五蓋は、四正断(ししょうだん)で観察しています!

「四正断・ししょうだん」(四正勤・ししょうごん)
七科三十七道品の第二番目の行法です。四種の正しい努力を意味します。
四正断を実修すると、精進ができます。
八正道の身口意を正す正精進も、この四正断に収まります。

・律儀断(りつぎだん)
「まだ生じていない不善(悪)を生じさせない」ことです。

・断断(だんだん)
「すでに生じた不善(悪)を捨てる」ことです。

・随護断(ずいごだん)
「まだ生じていない善を生じさせる」ことです。

・修断 (しゅうだん)
「すでに生じた善を増大させる」ことです。

この四正断を念いながら五蓋を取り除き、法を観察して瞑想を精進していく瞑想になります。

五蓋(ごがい)の図解

五蘊(ごうん)の図解

六処(ろくしょ)の解説

《六処の解説》

・六根(ろっこん)・六処(ろくしょ)

眼、耳、鼻、舌、身、意の6つの感官能力の根本が「六根・ろっこん」で六処です。

その根本の六処が、それぞれ知覚および認識することを、

・六識(ろくしき)

眼識・耳識、鼻識、舌識、身識、意識で、
6つの知覚および認識「六識・ろくしき」といいます。

その六識が認知したそれぞれの対象物が、

・六境(ろくきょう)

色、声、香、味、触、法で、
6つの認識した対象物「六境・ろくきょう」といいます。

・十二処(じゅうにしょ)は、

「六根」の眼、耳、鼻、舌、身、意と、
「六境」の色、声、香、味、触、法で、
「十二処」といいます。

*六根と六識は同じ意味でも使われます。
*六処は十二縁起支の第五支の「六処」のことです。

プーニャ&えん坊
プーニャ&えん坊
ぼーさん!「身受心法」の「法」の部分に「五蓋・五蘊・六処」の説明がでてきてるんだね!「法」はダンマでブッダの真理のことだけだと思ってたよ。
ぼーさん
ぼーさん
えん坊!「法=ダンマ」ってよく知ってるね!四念処の「身受心法」の「法」の説明では「もろもろの存在(事象・法)について(あらゆる物質は無我)」をみる(気づく)瞑想と解説しているね!

大念処経では、「五蓋の煩悩があるのか、ないのか」、「五蘊の自己を形成する要素が生起しているのか、消滅しているのか」、「六処で生じた束縛を知る」と具体的に説法がされているね!
「図解」大念処②のそれぞれの解説と合わせて読んでもらうと理解が深まりますから是非見てみて下さいね!

大念処経つづき

大念処経⑥「仮」

「身受心法」(しんじゅしんほう) もろもろの事象・法の観察

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