「原始仏典」 ほぐし読み

七覚支(しちかくし)の瞑想 法の観察 瞑想方法 大念処経⑥ほぐし読み ブッダの教え

大念処経⑥

七覚支の観察「身受心」(しんじゅしんほう)

長部経典 第22経「大念処経」(だいねんじゅきょう)のほぐし読みの第6話のもろもろの事象の「法の観察」の「七覚支の観察」になります。大念処経は、すべてが瞑想の教えになります。頭の中で身受心法を実修しているイメージで読み進めることをおすすめします。長いお経ですので、段落で分けて紹介します。ピンク色の文字は図解で解説がありますので、図解↓と連動して読んでみて下さい。

「七つ」の「覚りを支える智慧」を「大まかな考察」で観察する瞑想部分になります。

アーナンダ
アーナンダ
世尊は身体の観察、感受の観察、心の観察の説法をして、法の観察の五蓋・五蘊・六処を説法しました。次に、わたくしアーナンダはこう聞きました!

『大念処経ほぐし読み①』はこちらです

《七つのさとりを得るための七覚支について観察する》

またさらに修行僧たちよ、修行僧は七つのさとりを得るための七覚支について観察するのです。

修行僧は

内に念ずるというさとりを得るためのことがらがあるときに、「わたしの内には念がある」と知り、内に念ずるというさとりを得るためのことがらがないときに、「わたしの内には念がない」と知るのです。

いまだ生じていない念というさとりを得るためのことがらが生じるままにそれを知り、すでに生じている念というさとりを得るためのことがらが滅ぼされるままにそれを知り、すでに生じている念を修行して完成するということを知るのです。

内に教えの選択というさとりを得るためのことがらがあるときに、「わたしの内には教えの選択がある」と知り、内に教えの選択というさとりを得るためのことがらがないときに、「わたしの内には教えの選択がない」と知るのです。

いまだ生じていない教えの選択というさとりを得るためのことがらが生じるままにそれを知り、すでに生じている教えの選択というさとりを得るためのことがらが滅ぼされるままにそれを知り、すでに生じている教えの選択を修行して完成するということを知るのです。

内に精進するというさとりを得るためのことがらがあるときに、「わたしの内には精進がある」と知り、内に精進するというさとりを得るためのことがらがないときに、「わたしの内には精進がない」と知るのです。

いまだ生じていない精進というさとりを得るためのことがらが生じるままにそれを知り、すでに生じている精進というさとりを得るためのことがらが滅ぼされるままにそれを知り、すでに生じている精進を修行して完成するということを知るのです。

内に喜びというさとりを得るためのことがらがあるときに、「わたしの内には喜びがある」と知り、内に喜びというさとりを得るためのことがらがないときに、「わたしの内には喜びがない」と知るのです。

いまだ生じていない喜びというさとりを得るためのことがらが生じるままにそれを知り、すでに生じている喜びというさとりを得るためのことがらが滅ぼされるままにそれを知り、すでに生じている喜びを修行して完成するということを知るのです。

内に、心身の安堵の軽安というさとりを得るためのことがらがあるときに、「わたしの内には心身の安堵の軽安がある」と知り、内に心身の安堵の軽安というさとりを得るためのことがらがないときに、「わたしの内には心身の安堵の軽安がない」と知るのです。

いまだ生じていない心身の安堵の軽安というさとりを得るためのことがらが生じるままにそれを知り、すでに生じている心身の安堵の軽安というさとりを得るためのことがらが滅ぼされるままにそれを知り、すでに生じている心身の安堵の軽安を修行して完成するということを知るのです。

内に精神統一の定というさとりを得るためのことがらがあるときに、「わたしの内には精神統一の定がある」と知り、内に精神統一の定というさとりを得るためのことがらがないときに、「わたしの内には精神統一の定がない」と知るのです。

いまだ生じていない精神統一の定というさとりを得るためのことがらが生じるままにそれを知り、すでに生じている精神統一の定というさとりを得るためのことがらが滅ぼされるままにそれを知り、すでに生じている精神統一の定を修行して完成するということを知るのです。

内に心の平静の捨というさとりを得るためのことがらがあるときに、「わたしの内に精神統一の捨がある」と知り、内に精神統一の捨というさとりを得るためのことがらがないときに、「わたしの内に精神統一の捨がない」と知るのです。

いまだ生じていない精神統一の捨というさとりを得るためのことがらが生じるままにそれを知り、すでに生じている精神統一の捨というさとりを得るためのことがらが滅ぼされるままにそれを知り、すでに生じている精神統一の捨を修行して完成するということを知るのです。

このように、内に、自分自身の七つのさとりを得るための七覚支ついて七覚支を観察し、また、客観的に自分の七つのさとりを得るための七覚支について七覚支を観察し、あるいは内と外、自分自身の七覚支について七覚支を観察していくのです。

また、七つのさとりを得るための七覚支の中で生起してくる現象を観察し、また、七つのさとりを得るための七覚支の中で消滅する現象を観察し、また、七つのさとりを得るための七覚支の中で生起し消滅していく現象を観察していくのです。そして、観察して知った分だけ、観察して記憶した分だけ、「ただ事象のみが存在する」という念(おも)いが、自分自身には現れてくるのです。

七覚支の解説

《七覚支の解説》

七科三十七道品(しちかさんじゅうしちどうほん)の第六番目の行法です。

「覚」は、さとりの智慧を意味し、大まかな考察の意味もあります。
「支」は、さとりの智慧を助けて支えるから「支」で、
七つの智慧の支えで「七覚支」です。

・念(ねん)「念覚支」(ねんかくし)

失念せずに、自失せずに、常に注意力をもっていること。こころを一点にとどめて気を付けることです。

思念ともいわれ、思念そのものが念という覚りのことがらの念覚支の上にたつ諸法とも解説されています。

《念と思念の意味は》

念(ねん)
①対象を記憶して忘れないこと
②こころが放縦にならないように気をつけ注意力が具わっていること
③無常・苦・無我をつねに念頭におく、四念処(しねんじょ)のこと

と意味されます。

思念(しねん) 漢訳では、記・智・念・正念などと訳される。
・記憶する
・心に留める
・想起するの意味

《思念の生起に役立つことがら》
・思念を正しく知る
・妄念を避ける
・思念が確立した人に仕える
・その思念を志向・信解(しんげ)する

・択法(ちゃくほう)「択法覚支」(ちゃくほうかくし)

智慧によって、教えの中から真実を選びとり、偽りのものを捨てることです。

《択法の生起に役立つことがら》
・よく質問する
・ものごとを明瞭にする
・感覚器官の六根を等しく保つ
・劣慧の人を避ける
・智慧のある人に正しく仕える
・深く知って行い省察する
・それを志向・信解する

・精進(しょうじん)「精進覚支」(しょうじんかくし)

正しい努力のことです。

《精進の生起に役立つことがら》
・苦界の恐怖を省察する
・功徳を見る
・行道を省察する
・托鉢を尊ぶ
・仏の遺産が大きいことを省察する
・師が偉大であることを省察する
・生まれが偉大であることを省察する
・同じ梵行者が偉大であることを省察する
・怠惰の人を避ける
・精進に励む人に近づく
・その精進を志向・信解する

・喜悦(きえつ)「喜覚支」(きかくし)

瞑想の実践で得られる悦びのことです。

《喜悦の生起に役立つことがら》
・仏・法・僧・戒・施捨・神格のそれぞれを追憶する
・寂静を追憶する
・卑しい人を避ける
・潤いのある人に親しむ
・浄信すべき経典を省察する
・その喜悦を志向・信解する

・軽安(きょうあん)「軽安覚支」(きょうあんかくし)

心身の軽やかさのことです。

《軽安の生起に役立つことがら》
・すぐれた食事
・季節の快適さ
・行往坐臥の快適さ
・中庸をもちいる
・激情に身をまかせる人を避ける
・身が安らいでる人に親しむ
・安らぎを志向・信解する

・定(じょう)「定覚支」(じょうかくし)

こころを集中して乱さない精神統一のことです。

《定の生起に役立つことがら》
・物事を明瞭にする
・感覚器官を等しく保って行う
・特徴の把握に巧みである
・あるときは心を励ます
・あるときは心を抑える
・あるときは心を鋭くする
・あるときは無視する
・心が統一されていない人を避ける
・心が統一された人に親しむ
・禅定による解脱を省察する
・精神統一を志向・信解する

・捨(しゃ)「捨覚支」(しゃかくし)

対象への執着がなく偏ったこころもない「中庸・ちゅうよう」な気持ちです。

《捨の生起に役立つことがら》
・有情(うじょう・生存する者・衆生と同意語)に中庸である
・ものごとに中庸である
・ものごとを愛好する人を避ける
・ものごとに中庸な人に親しむ
・捨を志向・信解する

「*役立つことがらは中部10経 及川真介先生の解説より」

「支」は、さとりの智慧を助けて支える

この念処経の七覚支を観察するヴィパッサナー瞑想では、
瞑想で得られる七つのさとりの智慧を助ける「支」の精神作用を観察をして、
それぞれの「支」の獲得を完成させる瞑想になります。

ちなみに、

サマタ瞑想の一種、色界の瞑想の四禅(しぜん)の瞑想に入るときは、
五つの「支」の、五禅支(ごぜんし)「尋(じん)・伺(し)・喜(き)・楽(らく)・一境性(いっきょうせい)」が得られます。
四禅では五禅支をひとつひとつ手放して一境性のみにしていく瞑想になります。

ぼーさん
ぼーさん
五禅支の「尋」と、七覚支の「覚」は「大まかな考察」または「粗雑な思考作用」と後代の仏教教義学で分類されています。

ちなみに「伺」と「観」は「細かな考察」または「微細な思考作用」と分類されています。
瞑想する際のヒントになりますね!

次に七覚支が出てくるお経を紹介します。

七覚支が出てくるお経

中部経典 第77経 箭毛経(せんもうきょう)

このお経には、七科三十七道品の教えがでてきます。その中に七覚支もでてきます。

ほぐし読みはこちら↓
マンガはこちら↓

中部教典 第118経 治意経(ちいきょう)

このお経は「出入息観」(しゅつにゅうそくかん)とも名付けられています。

呼吸を観察する瞑想の「出入息観」を強化すれば、
四念処の瞑想が完成して、四念処を強化すれば、
悟りにいたるための七つの支分の七覚支が完成して、
七覚支を強化すれば、
悟りの智慧と解脱が完成することが説かれているお経です。

ぼーさん
ぼーさん
このお経は四念処を養成して、七覚支を完成させていく教えが出てきます。具体的には、「身受心法」の身体を観察するときに注意力の念覚支を養成していくとでてきます。

四念処の観察の瞑想方法に七覚支の組み合わせが出てきて大変興味深いお経ですので、また紹介していきたいと思います。

プーニャ&えん坊
プーニャ&えん坊
ぼーさん!「身受心法」の「法」の部分に「五蓋・五蘊・六処」の説明がでてきて、つぎに「七覚支」が悟りを支える力になると説法してるんだね!
ぼーさん
ぼーさん
えん坊!ほんとだね!欲界から色界に行く瞑想だね!そして、七覚支の観察の最後にも生起する法と衰滅する法を観察しているね!続きも見てみよう!

「図解」大念処②のそれぞれの解説と合わせて読んでもらうと理解が深まりますから是非見てみて下さいね!

大念処経つづき

大念処経⑦「仮」

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