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長部経典 第六経 摩訶梨経(まかりきょう)マハーリ経
「マハーリの問い」 *漢訳なし
《経典のあらすじ》
リッチャヴィ族のマハーリ(別名オッタッダ)が、スナッカッタが天の物質的領域(色)を見てきたが、天の音声を聞いたことが無いことをブッタに質問します。ブッダは天の音声も聞くことができる精神統一の回答します。そして、霊魂と身体は同じものかそうではないのかも確認しながら、さらにすぐれた修行の教えを説くお経です。
コーサラ国のバラモンの使者と、マガタ国のバラモンの使者と、リッチャヴィ族のマハーリが、ブッダの侍者ナーギタ・カッサパにブッダにお目にかかりたいとお願いするところから始まります。
マハーリはブッダに質問します。
「リッチャヴィ族のスナッカッタが『魅力的で、興奮をもたらす、天の物質的領域の色を見てきたが、魅力的で、興奮をもたらす、天の音声は聞いたことがない。』と話をしてくれましたが、天の音声は存在するのでしょうか?」
ブッダは答えます。
「天の音声は存在しないことはありません。」
マハーリはさらにブッダに質問します。
「では、一体どのような直接原因(因)があり、どのような関節原因(縁)があるのでしょうか?」
ブッダは答えます。
《一方の対象に修せられた精神統一》
修行者が、
東西南北、上下、四維(しゆい)の方面に
天の音声を聴くためではなく、
天の物質的領域の色を見るために精神統一を実修するからです。
また逆に、
修行者が、
東西南北、上下、四維の方面に
天の物質的領域の色を見るためではなく、
天の音声を聴くために、精神統一を実修するからです。
《両方の対象に修される精神統一》
修行者が、
東西南北、上下、四維の方面に
天の物質的領域の色を見るために、
また、天の音声を聞くために、
両方の対象に修せられた精神統一を実修すると、
天の物質的領域の色を見て、
天の音声を聞くことができます。
それは、
天の物質的領域の色を見るため、
天の音声を聞くための精神統一の実習をするからです。
マハーリはブッダに次の質問をします。
「ブッダの弟子の修行僧が修行するのは、以上のような精神統一を実修と体得するためですか?」
ここから、さらに優れた教えをブッダはマハーリに説法します。
《三結を滅する》
修行者は、 三つの束縛(三結)を滅ぼすと、預流果(よるか)となり、下位に転落することのない者となり、 決定者となり全きさとりにおもむく者となります。
修行者は、三つの束縛(三結)を滅し、さらに、貪り、怒り、無知がうすくなり、一度だけ帰る人の一来果(いちらいか)となります。一度だけこの世に戻ってから、苦の終わりを成し遂げます。
三結(さんけつ)
1、有身見(うしんけん)・・・五蘊のなかに自我があり、五つの要素の集まりは「自分のもの」と誤っている
2、疑(ぎ)・・・仏法僧と四諦に対する疑念
3、戒禁取(かいごんしゅ)・・・誤った戒律や禁制などに執着すること
さらに優れた教えが、
《五下分結を滅する》
さらに、修行者は五下分結を滅することによって、化生者となり、そこで完全に束縛を解き放ち、この世に帰ってこないものになります。


そしてさらに優れた教えが、
《俱分解脱をする》
さらに、修行者は、心の解脱と、智慧の解脱を、
現世において、みずからよく知り、ありありと体得し、到達している状態になります。


そして、マハーリはブッダに質問します。
「これらの教えをありありと体得するための、道はあるのでしょうか?」
ブッダは答えます。
《聖なる八正道》
八正道があります。正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定です。これらの教えをありありと体得していくための道です。


そして、ここからブッダは、マハーリに、以前に出会った二人の修行者の話をします。
《二人の修行者の質問》
以前にブッダは遍歴行者のマンディサと、木鉢行者の弟子のジャーリヤの二人の修行者から
「霊魂と身体はおなじものでしょうか?それとも、霊魂と身体は異なるものでしょうか?」
と尋ねられて、
ブッダは以下の順で答えていくことをマハーリに伝えます。
このマハーリ経では、
霊魂と身体の質問の回答が四禅の説明に組み込まれていて見ものですよ!



《ブッダの回答》
※下の箇条書きの詳しい教えの内容は沙門果経を読んでください!
・修行完成者の出現
・小・中・大の戒
・感覚器官の門の防御
・注意力と明瞭な意識
・満足
・五蓋の除去
五蓋を捨て去ったことを認める人は、喜悦が生まれ、喜悦している人には喜びが生まれ、 身体が軽やかになり、安楽を感じ、心が集中するのです。
・四禅
《初禅》
初禅の瞑想の段階
思慮(尋)と考察(伺)はともなっているが、悪から離れることで、初禅に入っている。
この説明の終わりに、
ブッダは、二人に質問します。
ブッダ「第一の精神集中に達した修行僧に、霊魂と身体は同じものであるとか、異なるものである、というのは相応しいでしょうか?」
二人の回答「相応しいと思います。」
ブッダ「わたしは霊魂と身体は同じものであるとか、異なるものである、などということはいいません。」
《二禅》
二禅の段階
思慮と考察を辞めることによって、心の内部で平静になり、心の一点の集中があり、 思慮と考察を離れた心の安定三昧から生まれる喜びと安楽を得て第二禅にはいる
この説明の終わりでも、
ブッダは、二人におなじように質問します。
ブッダ「 第二の精神集中に達した修行僧に、 霊魂と身体は同じものであるとか、異なるものである、というのは相応しいでしょうか?」
二人の回答「相応しいと思います。」
ブッダ「 わたしは霊魂と身体は同じものであるとか、異なるものである、などということはいいません。 」
《三禅》
三禅の段階
第二禅も離れ、心の平静(捨)があり、気を落ち着け(念)、第三禅に入る
この説明の終わりでも、
ブッダは、二人におなじように質問します。
ブッダ「 第三の精神集中に達した修行僧に、 霊魂と身体は同じものであるとか、異なるものである、というのは相応しいでしょうか?」
二人の回答「相応しいと思います。」
ブッダ「 わたしは霊魂と身体は同じものであるとか、異なるものである、などということはいいません。 」
《四禅》
四禅の段階
第三禅の安楽もたち、苦をもたち、喜びも悲しみも消滅しているから第四禅に入る
この説明の終わりでも、
ブッダは、二人におなじように質問します。
ブッダ「 第四の精神集中に達した修行僧に、 霊魂と身体は同じものであるとか、異なるものである、というのは相応しいでしょうか?」
二人の回答「相応しいと思います。」
ブッダ「 わたしは霊魂と身体は同じものであるとか、異なるものである、などということはいいません。 」
二人は、まだ「相応しいと思います。」と答えていますが、
ブッダの教えを聞いていると、
しだいに、
《無我の理解洞察》
〈無我の理解洞察〉
禅定で無常・苦・無我を洞察する智慧、「智見」のことです。
心が安定し、清浄で純白となり、汚れなく、心に付随する煩悩をも離れ、柔軟になり、行動に適応し、不動なものになると、
かれは、
知識による洞察に心を傾け、真理である、無常、苦、無我に対して心を傾けます。
自分の身体は両親から生まれ、食べ物をたべて生きていているが、無常であって、たえず変化して老死に向かっている。しかし、私の意識は自分の体に依存して、ここに付随している。と洞察します。
それはたとえば、青・黄・赤・白の本物のきれいな宝石を見て、青・黄・赤・白の本物のきれいな宝石だと観察するようなものです。
それでもなお、ふたりは、
ブッダのおなじ質問、
「霊魂と身体は同じものであるとか、異なるものである、というのは相応しいでしょうか?」
の質問に、
二人の回答「相応しいと思います。」
と答えます。
ブッダの教えの話は続き、瞑想で得られる神通力の説法になります。





《意から成る智》
〈意から成る智〉
禅定を修習することによって得られる人の能力を超えた自在な能力、
ここでは六神通の「神変の意所成神変」のことです。
心から成り立つ身体を創りだすことに心を傾け、
この身体とは、
形は有るが心から成り立つのをしるのです。
・草を抜き茎と離れるたとえ
・短剣とさやのたとえ
・蛇と抜け殻のたとえ
《さまざまな超人的な能力》
・象牙細工師のたとえ
・金細工師のたとえ
・超人的能力、神の耳、他心知の神通力
・鏡とほくろのたとえ
・宿住智の神通力
・村から村へのたとえ
・死生智の神通力
・十字路の家のたとえ
・滅尽智の神通力
煩悩の汚れの消滅を知る(漏尽通・ろうじんつう)に心を傾けます。
苦しみは、これである。
苦しみのおこる原因はこれである。
苦しみの消滅はこれである。
苦しみの消滅にいたる道はこれである。
とあるがままに知ります。
このように知り、このようにみるとき、その人の心は、欲望の汚れから解放され、生存の汚れから解放され、無知の汚れから解放されるのです。
解放されたときには、解放されたという知識が生じます。
再生のみちは尽きた、清らかな修行は成し遂げられた、なすべきことはなされ、もはや再び、この生存の世界に生まれることはないと知ります。
・澄んだ湖のたとえ
《最後の質問》
ブッダ「このように知り、このように見る修行僧に、 霊魂と身体は同じものであるとか、異なるものである、というのは相応しいでしょうか?」
二人の回答「このように知り、このように見る修行僧に、 霊魂と身体は同じものであるとか、異なるものである、というのは、相応しいものではありません。」
リッチャヴィ族のオッタッダは尊師の説かれたことに喜んだ。
マハーリ経 完
ブッダは煩悩を手放して涅槃の境地に行く教えを説いていて、
瞑想で煩悩のない、色界や無色界の天の世界に行くこともできる教えも説いているよね!
しかし、霊魂と身体の関係は涅槃の境地にも、
煩悩のない天の世界にも関係ないから説いていないんだね!
ブッダの教えは、たとえ話は多いけど、
まやかしや無駄がなく合理的なのがわかるお経だね!
今回もかなり簡略に記載しています。
本物の原始仏典はもっともっとたくさんの内容が書かれているので、
ぜひ読んでみてください↓楽しくなりますよ!