この法華経(ほけきょう)「五百弟子授記品第八」(ごひゃくでしじゅきほん)ほぐし読みは、「大乗仏教」の妙法蓮華経を、大まかにほぐし読みに整理しました。
「五百弟子授記品第八」(ごひゃくでしじゅきほん)法華経(ほけきょう)ほぐし読み⑧
第八章「五百弟子授記品第八」(ごひゃくでしじゅきほん)
前回「化城喩品第七」(けじょうゆほん)で、とても昔に大通智勝如来という如来がいて、子供たち十六王子も仏になっている話をしました。

《富楼那(ふるな)も未来に仏になる》
ブッダは比丘たちに語ります。
富楼那(ふるな・プールナ)は説法第一のブッダの弟子で、遠いむかしの過去七仏のもとでも説法第一でした。
三明(さんみょう)・八解脱(はちげだつ)・四無礙智(しむげち)を得ていました。
ここでも法華経では言葉がでてくるだけなので、
原始仏典の解説を補足しておきますね。
三明(さんみょう)
三明(さんみょう)は六神通の
4番目の宿住随念智(しゅくじゅうずいねんち)
5番目の死生智(しせいち)
6番目の漏尽智(ろじんち)の三つ
この三つで、「三つの明智」の三明(さんみょう)と呼び、解脱の境地を「三明を得た」と表現されるときもあります。
もともと三明はバラモン教の聖典の3つのヴェーダ「リグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュール・ヴェーダ」に精通するバラモンの名称だったのが、仏教に取り入れられたみたいです。
原始仏典には三明経(さんみょうきょう)というとても素敵な経典があります。↓

・八つの解脱(八背捨・はちはいしゃ)
(4~7は無色界の四禅)
1、色にこころを集中(色界の禅にはいる)
2、内に物質的存在の想いもない
3、浄らかであると確信する
4、空無辺処
5、識無辺処
6、無所有処
7、非想非非想処
8、想受滅


四無礙智(しむげち)・四無礙弁(しむげべん)
仏や聖者が法を説き得る智的能力
・法無礙智(ほうむげち)、表す数に精通している。
・義無礙智(ぎむげち)、文字や文章の意味内容の義理に精通している。
・詞無礙智(しむげち)、言語に精通している。
・楽説無礙智(らくせつむげち)、以上の三つをもって、衆生のために説法するのが自在なこと。
未来は法明如来(ほうみょうにょらい)真理の輝きの意味の如来になります。
それを聞いた1200人の阿羅漢が、われらにも未来に如来になると授記をいただきたいと思います。
ブッダはみんなに無上のさとりの記を与えます。
そして、みんなは未来に普明如来(ふみょうにょらい)普遍の光明と呼ばれる仏に成ります。と伝えます。
そして、その中の同じ名前の500人の比丘がブッダから記を受けて、過ちを悔いブッダに譬喩で伝えました。
《衣裏繋珠の譬喩(えりけいじゅのひゆ)》

【衣裏繋珠の譬喩】(えりけいじゅのひゆ)
お金の乏しい人が友の家によって、酒に酔って眠り込んでしまいました。
友は用事で家を出かけるので、寝ている酔った友の服の裏に宝石を縫い付けておきました。
酔いからさめて目が覚めた友はそのことを知りません。
それから他国に行くことになるのですが、困窮していたので、少しでも食べ物などを得ることができたらそれで満足していました。
ある時、泊まらせてもらった友とばったりと出会うと、服の裏に宝石を縫い合わせていることを聞かされます。
世尊はこの友のような人で、
我々に与えてくれているのに、我々は無智のゆえ覚らず、阿羅漢で平安と思い、小さな望みで満足していました。
《五百弟子授記品第八 おわり》つづく
原始仏典の三明経と読み比べてみたら、原始仏典のほうがバラモン教を批判している理由が明確に出てきて、それに対するブッダの教えも明確にでているね。続きも見てみよう!

