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観音経(かんのんきょう)とは?わかりやすく読む「観世音菩薩普門品第二十五」(かんぜおんぼさつふもんぼん)法華経ほぐし読み㉕ 

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この法華経(ほけきょう)「観世音菩薩普門品第二十五」(かんぜおんぼさつふもんぼん)は「観音経」とも呼ばれています。「観音経」をわかりやすく大まかにほぐし読みに整理しました。

法華経「図解①」.法華経「図解②」と照らし合わせてみて下さい。

「観世音菩薩普門品第二十五」(かんぜおんぼさつふもんぼん)

前回、「妙音菩薩品第二十四」(みょうおんぼさつほん)では、ブッダに光をあてられて呼ばれた妙音菩薩が登場しました。

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観音経(かんのんきょう)「観世音菩薩普門品第二十五」(かんぜおんぼさつふもんほん)とは?わかりやすく読む

「観世音菩薩普門品第二十五」(かんぜおんぼさつふもんほん)

アーナンダ
アーナンダ
わたくしアーナンダは如是我聞しました!漢訳なので漢字なのです!

ちなみに、このお経は日本の宗派でよく読経される「観世音菩薩普門品第二十五」で「観音経」(かんのんきょう)になりますよ!どんな内容かわくわくです!

《無尽意菩薩がブッダに質問します。》

尽きない意志をもつ、無尽意菩薩(むじんいぼさつ)がブッダに質問します。

「観世音菩薩はなんの因縁をもって、観世音菩薩と呼ばれるのでしょうか?」

観世音はサンスクリット語で「アヴァローキテーシュヴァラ」で、サンスクリット語訳では観世音の名前を「唱える」のではなく、「大声で呼ぶ」と出てきます。

ブッダは答えます。

大乗のブッダ

衆生がどのような苦悩を受けていても、観世音菩薩の名前を聞いて、一心に称えるなら、観世音菩薩はただちに、その声を観じて、苦しみから解き放ってくれます。

大乗のブッダ

「南無観世音菩薩」と

観世音菩薩の名前を一心に称えると、

たとえば、

火の中にあっても、焼かれることなく救い出されるでしょう。

川で水に流されても、浅瀬にたどり着くでしょう。

大海にでて暴風にあっても救われるでしょう。

刀や杖で打たれようとされても、救われるでしょう。

暴漢や盗賊が多いところで、高価なものを運ぶ旅のときも、

恐怖をいやす無畏施(むいせ)を

もたらせてくれるでしょう。

無畏施(むいせ)は、

恐怖を癒して平安をもたらすことの意味

淫欲におぼれていたとしても、欲を離れることができます。

瞋恚にかられることが多くても、怒りのこころを離れることができます。

愚痴に迷うことが多かったとしても、愚かさを離れることができます。

男の子が欲しいと思っても、女の子が欲しいと思っても、産むことができるでしょう。

四事の布施より、観世音菩薩を礼拝するほうが無量無辺の福徳の利を得るのです。

無尽意菩薩は次の質問をブッダにします。

「観世音菩薩は娑婆世界ではどのように存在して、衆生に法を説いておられるのですか?」

ブッダは答えます。

《観世音菩薩は三十三に姿を変表させることが説かれます。》
大乗のブッダ

観世音菩薩は三十三に姿を変表させて、衆生を救います。

仏の姿に変現して救えるのなら、仏の姿になり衆生を救います。

世間から敬われる僧侶の縁覚の姿で衆生が救えるのなら僧侶になります。

同様に声聞の姿になります。

《仏・縁覚・声聞で三十三身の三身にあたります。》

「声聞」(しょうもん)は四諦で仏道を修める者(小乗仏教者)

「縁覚」(えんがく)は十二因縁で仏道を修める者。辟支仏(びゃくしぶつ)とも言う。(小乗仏教者の阿羅漢や婆羅門)

「菩薩」(ぼさつ)は六波羅蜜によって仏道を修める者(主に大乗仏教者)

法華経「図解②」も参考ください↓

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梵天、帝釈天、自在天、大自在天、天の大将軍、毘沙門天の身になって救えるのなら、その姿で救いに行きます。

《三十三身の六身にあたります。》

各地の小王、長者、良家の家長の居士(こじ)、宰官(さいかん)、婆羅門(ばらもん)の身になって救えるのなら、その姿で救いに行きます。

《三十三身の五身にあたります。》

比丘、比丘尼、優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)の身になって救えるのなら、その姿で救いに行きます。

《三十三身の四身にあたります。》

女性の長者、良家の家長の居士(こじ)、宰官(さいかん)、婆羅門(ばらもん)、また、童男、童女の身になって救えるのなら、その姿で救いに行きます。

《三十三身の六身にあたります。》

天、龍、夜叉(やしゃ)、乾闥婆王(けんだっばおう)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩睺羅伽(まごらか)の身になって救えるのなら、その姿で救いに行きます。

《三十三身の八身にあたります。》

金剛杵(こんごうしょ)を持つ、執金剛神(しゅうこんごうじん)の身になって救えるのなら、その姿で救いに行きます。

《三十三身の一身にあたります。》

えん坊如来

だから、観音さんはいろいろ変身して、手が増えた千手観音や、顔がたくさんある十一面面観音など、いろんな姿で観られるんだね!

一心に観世音菩薩を祈りなさい。

観世音菩薩は恐怖や苦難でおびえる人々の不安を取り除きます。

娑婆世界では癒しの救済者である、

施無畏者(せむいしゃ)と呼ばれるのです。

そのとき、

無尽意菩薩は

「観世音菩薩に供養いたします。」と

首にかけていた、豪華な首飾りの瓔珞(ようらく)を観世音菩薩に渡します。

しかし、

観世音菩薩は受け取りませんでした。

ブッダが言います。

大乗のブッダ

人々を哀れみ、その瓔珞をお受け取りなさい。

すると、

観世音菩薩はその瓔珞を受け取り、

二つに分けて、ブッダと多宝如来の宝塔にかけました。

次に、

無尽意はブッダに

「観世音菩薩の由来は?」を尋ねます。

ブッダは答えます。

観世音菩薩の行を多くのところでなされたのです、

観世音菩薩の弘誓(ぐせい)は深い海のようで、長い幾千億も仏に仕えて

大清浄の願を発したのです。

ブッダは大清浄の願を(偈)で伝えます。

ぼーさん

この偈が、日本のいろんな宗派ででよく読経されている「観音経=観世音菩薩普門品偈第二十五」の部分になります。

※お経がどんな内容か理解できるように、漢訳とサンスクリットの訳を読みあわせて、1行単位でほぐしてみました。青文字の部分です。

「観世音菩薩普門品第二十五」(かんぜのんぼさつふもんぼん)

世尊妙相具(せーそんみょうそうぐ) ブッダは美しい相がそなわり

我今重門彼(がこんじゅうもんぴ)  われ今重ねてたずねます。

仏子何因縁(ぶっしーがーいんねん) 仏の子はなんの因縁で

名為観世音(にょういかんぜーおん) 観世音の名前なのでしょうか?

具足妙相尊(ぐーそくみょうそうそん) 妙相をそなえる世尊は

偈答無尽意(げーとうむじんいー)  無尽意菩薩に偈で答えた 

汝聴観音行(にょーちょうかんのうぎょう) なんじ観音の行を聴くがよい

善応諸方所(ぜんのうしょーほうしゅ) いろんなところで応じた善いことを

弘誓深如海(ぐーぜいじんにょーかい) 衆生を救う近いは海のごとく深い

歴劫不思議(りゃくごうふーしーぎ) どれだけの久遠の期間か考えられない

侍多千億仏(じーたーせんのくぶつ) 千年億年仏に仕えて

発大清浄願(ほつだいしょうじょうがん) 大清浄の願を発した

我為汝略説(がーいーにょーりゃくせつ) あたなのために説明します

聞名及見身(もんみょうぎゅうけんしん) 観音さんの名を聞き、姿を見なさい

心念不空過(しんねんふーくうか) こころに念じて過ごせば

能滅諸有苦(のうめつしょーうーく) どんな苦しみも菩薩が滅してくれる

仮使興害意(けーしーこうがいいー) たとえ害意を持った人に

推落大火坑(すいらくだいかーきょう)火坑に落とされても

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき) 観音の力を念ずれば

火坑変成池(かーきょうへんじょうちー) 火坑変じて池となる

或漂流巨海(くわひょうるーこーかい) 或いは海に漂流しても

龍魚諸鬼難(りゅうぎょしょーきなん) 龍や魚もろもろの難にあわない

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき) 観音の力を念ずれば

波浪不能没(はーろうふーのうもつ) 波もなくなり沈むこともなくなる

或在須弥峰(わくざいしゅーみーぶ) あるいは須弥山で

為人所推堕(いーにんしょーすいだー) 人に落とされても 

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき) 観音の力を念ずれば

如日虚空住(にょーにちこーくうじゅう) 太陽のごとく空に浮かび住む

或被悪人逐(わくひーあくにんちく) あるいは悪人に追われて

堕落金剛山(だーらくこんごうせん) 金剛山から堕ちても

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき) 観音の力を念ずれば

不能損一毛(ふーのうそんいちもう) 髪の毛一本も損なわない

或値怨賊繞(わくちーおんぞくにょう) あるいは賊に囲まれて(繞・にょう)

各執刀加害(かくしゅうとうかーがい) 刀で害されても

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき) 観音の力を念ずれば

咸即起慈心(げんそくきじしん) すぐに慈悲の心がおきる

或遭王難苦(わくそうおうなんくー) あるいは王が苦難にあい

臨刑欲寿終(りんきょうよくじゅーしゅう) 刑をうけ命絶つと望んでも

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき) 観音の力を念ずれば

刀尋段段壊(とうじんだんだんえー) 刀は次々と壊れる

或囚禁枷鎖(わくしゅうきんかーさー) あるいは手や足かせで囚われ

手足被杻械(しゅーそくひーちゅうかい) 手足をしばられても

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき) 観音の力を念ずれば

釈然得解脱(しゃくねんとくげだつ) 疑いが晴れて(釈然・しゃくぜん)手足がとかれる

呪詛諸毒薬(しゅそーしょーどくやく) うらみを持って呪ってやろうと毒薬をのんで

所欲害身者(しょーよくがいしんしゃー) 身を害することを欲する者も

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき) 観音の力を念ずれば

還著於本人(げんじゃくおーほんにん) その呪いはうらんだ本人にもどる

或遇悪羅刹(わくぐうあくらーせつ) あるいは悪羅刹(毘沙門天のけんぞくで悪い悪魔)

毒龍諸鬼等(どくりゅうしょーきーとう) 毒龍や鬼に遭遇しても

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき) 観音の力を念ずれば

時悉不敢害(じーしつぶーかんがい) 害に遭うことはない

若悪獣圍繞(にゃくあくじゅういーにょう) もしくは悪い獣に囲まれても

利牙爪可怖(りーげーそうかーふー) 牙と爪に恐怖しても

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき) 観音の力を念ずれば

疾走無辺方(しっそうむへんぽう) どこかに走りさっていく

蚖蛇及蝮蠍(がんじゃぎゅうぶっかつ) まむしやさそりの

気毒煙火燃(けーどくえんかーねん) 毒煙や火燃なども

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき) 観音の力を念ずれば

尋声自回去(じんしょうじーえーこう) 声をきいて去っていく

雲雷鼓掣電(うんらいくーせいでん) 雷が鳴りイナズマがなって

降雹澍大雨(ごうばくじゅだいうー) あられや大雨がふっても

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき) 観音の力を念ずれば

応時得消散(おうじとくしょーさん) 時に応じて消し去ってくれる

衆生被困厄(しゅじょうひーこんやく) みんなが困難にこうむって 

無量苦逼身(むりょうくーひっしん) たくさん苦しんでも

観音妙智力(かんのんみょうちーりき) 観音さまの妙智の力

能求世間苦(のうぐーせけんぐー) 世間の苦を救う

具足神通力(ぐーそくじんづうりき) 神通力をそなえて

広修智方便(こうしゅうちーほうべん) 方便の智を広め修める

十方諸国土(じっぽうしょーこくどー) いろんな諸国に

無刹不現身(むーせつふーげんしん) 寺(刹)がなく、身体が現れなくても

種種諸悪趣(しゅじゅーしょあくしゅ) もろもろの悪の種や

地獄鬼畜生(じーごくきーちくしょう) 地獄の鬼や畜生

生老病死苦(しょうろうびょうしーくー) 生老病死の苦も

以漸悉令滅(いーぜんしつりょうめつ) だんだんとことごとく滅していく

真観清浄観(しんかんしょうじょうかん) 真観(真実をみること)、清浄観(こころにゆがみなく観ること)、

広大智慧観(こうだいちーえーかん) 広大智慧観(知恵で観ること)

悲観及慈観(ひーかんぎゅうじーかん) 悲観(哀れみで観る)、慈観(慈しみで観る)など

常願常澹仰(じょうがんじょうせんごう) 常におだやかに(澹)に願い仰ぐ

無垢清浄光(むーくーしょうじょうこう) 垢のない清浄の光で

慧日破諸闇(えーにちはーしょうあん)  太陽のように暗闇を破る

能伏災風火(のうふくさいふういか) 風や火の災害を伏せて

普明照世間(ふーみょうしょうせーけん) 世間を明るく照らしあまねくゆきわたせる

非体戒雷震(ひーたいかいらいしん) からだを震え上がらせる雷のごとく

慈意妙大雲(じーいーみょうだいうん) 慈しみのこころはすぐれた(妙)大雲のようである

澍甘露法雨(じゅーかんろほううー) 甘露の法雨がほどよくそそぎ降り(澍)

滅除煩悩焔(めつじょーぼんのうえん) 煩悩のほのお(焔)を滅除する 

諍訟経官処(じょうしょーきょうかんしょー) あらそいごとを裁く所でも

怖畏軍陣中(ふーいーぐんじんちゅう) 軍陣おそれる中でも

念彼観音力(ねんぴーかんのんりき) 観音の力を念ずれば

衆怨悉退散(しゅうおんしったいさん) みんなの怨みも退散する

妙音観世音(みょうおんかんぜおん)  妙音観世音、

梵音海潮音(ぼんのんかいちょうおん)  梵音海潮音、

勝彼世間音(しょうひーせーけんのん)  勝彼世間音を

是故須常念(ぜーこーしゅーじょうねん) これゆえにすべからく(須)常に念ずる

念念勿生疑(ねんねんもっしょうぎー) 疑いを生じて念じてはいけない

観世音浄聖(かんぜーおんじょうしょう) 観世音浄聖

於苦悩死厄(おーくーのうしーやく) 苦悩や厄介な死において、

能為作依怙(のういーさーえーこー) たよりにしてよりかかれる(依怙)ものになる

具一切功徳(ぐーいっさいくーどく) 一切の功徳をそな(具)えて

慈眼視衆生(じーげんじーしゅじょう) 慈しみ(慈悲)の眼で衆生をみている

福聚海無量(ふくじゅーかいむーりょう) 幸せをもたらす功徳は海のように無量

是故応頂礼(ぜーこーおうちょうらい) これゆえに頂礼に応じるのです

サンスクリット語では、この偈のあとに、観世音菩薩は阿弥陀仏の隣にいて香の供養をしていたとでてきます。

偈が終わると、

持地菩薩(じじぼさつ)が座から立ちブッダに伝えます。

「この観世音菩薩普門品の観音経を聞くならば、その功徳は少なからず。」

ブッダの説いた普門品を聞いた四万八千の皆は、

阿耨多羅三藐三菩提の心を発しました。

「観音経」《観世音菩薩普門品第二十五 おわり》 つづく

観音様

えん坊&プーニャ
えん坊&プーニャ
ぼーさん、観音経って無尽意菩薩さんの質問をブッダが答えた内容なんだね!観音さんが慈悲の気持ちで守ってくれるんだね!
ぼーさん
ぼーさん
えん坊、ほんとだね。よく読むと、何かから襲われてるのを助けてくれるたとえ話の内容が多いね。当時は世知辛い時代だったんだろうか・・・。

肝心で大事なのは苦しみを除いて、安楽を与える「慈悲の気持ち」

こころの中の悪い気持ちの煩悩を、「観音様を想起して(念じて)」善い行いの気持ちに、書き換えていくということかもしれないね! 続きも見てみよう!

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観音菩薩について

観世音はサンスクリット語で「アヴァローキテーシュヴァラ」

観ること自在なる者の意味で「観自在」(かんじざい)とお経にもでてきます。

えん坊如来

般若心経の最初「観自在菩薩」(かんじ~ざいぼ~さ~)だね!

梵字では「サ」です。

観音菩薩 梵字「サ」
梵字「サ」

真言は「オン アロリキャ ソワカ」です。

六観音(ろっかんのん)

■天台宗・・・聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)

■真言宗・・・聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音(じゅんていかんのん)

ぼーさん

関西在住の時によく寺巡りをしていたので、仏像に関しては、また紹介しますね!

観音経(かんのんきょう)

初期の観音さんの絵

つづきはこちら↓

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