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中部教典 第77経 箭毛経1(せんもうきょう その一)
「ブッダが尊敬される理由」
ある時、
ブッダは遊行者のサクルダーインに会いに行きます。
その時、サクルダーインは他の遊行者仲間と下劣な話で盛り上がっていました。
ふと見るとブッダかやってくるのが目に入りました。
サクルダーインは他の遊行者仲間にいいます。
「みなさん!静かにしてください!ブッダがやってきます!ブッダは静かなことを好みます。静かに過ごすことをほめたたえます。静かにしていればブッダはこちらに来てくれるでしょう。」
ブッダはサクルダーインのところにやってきて言います。
「先ほどは何の話をして騒いでいたのですか?」
サクルダーインは答えます。
「いや別に大した話ではございませんのでお気になさらずに。」
「それより、先日さまざまな宗派の修行僧やバラモンが論議堂に集まったときに、このような話がありました。」
「アンガの人たちや、マガダの人たちはずいぶん得をしている、なぜなら、多くの人々から尊敬されている教団の開祖、プラーナ・カッサパ、マッカリ・ゴーサラ、アジタ・ケーサカンバリン、パクダ・カッチャーナ、サンッジャヤ・ベーラッティプッタ、ニガンタ・ナータプッタ、それにブッダの七人が雨期の定住場所としてラージャガハにきているのだから。」
そんな会話の中、ある人々はこう言います。

《六師外道のエピソード》
「ブッダ以外の6人の開祖は教団を従え、集団を率いていて、多くの人から尊敬されているけど、かれらは弟子たちからは尊敬されていなく崇拝もされていないし、弟子たちは開祖の側近で過ごすこともない。」
「ある時の話だけど、かのプラーナ・カッサパが何百もの人前で教えを説いていたときに、プラーナ・カッサパのお弟子さんがみんなに向かって大きな声で発言したのです。」
『プラーナ・カッサパに質問してはいけません。かれはその質問の回答を知らないのです、その答えを知っているのはわたしたちの方なのです。その質問はわたくしたちにしなさい。君たちに答えてあげましょう。』
するとプラーナ・カッサパは腕を前に伸ばして、
『みなさん、お静かに。みなさん、騒がないように。この人々はみなさんに質問しているのではないのですよ。みなさんはわたしに質問しているのですよ。だからわたしが質問をこたえるのですよ。』
と涙ながらに叫んだが、聞き入れられませんでした。
他のマッカリ・ゴーサラ、アジタ・ケーサカンバリン、パクダ・カッチャーナ、サンッジャヤ・ベーラッティプッタ、ニガンタ・ナータプッタの講義のときも同じ光景をみたことを話します。
しかし、
《ブッダのエピソード》
「ブッダは教団を従え、集団を率いていて、多くの人から尊敬されていて、かれは弟子たちからは尊敬されていて崇拝もされていて、弟子たちは開祖のブッダの側近で過ごしています。」
「ブッダは何百もの人前で教えを説いていたときに、ブッダのお弟子さんのひとりが咳払いをしました。そのとき、仲間の修行者は『お静かに、音をたてないように』と注意する言葉をかけていました。」
「ブッダが教えを説くときは、お弟子さんたちのあいだで誰ひとり騒がしい音など、たてないのです。お弟子さんたちはブッダの説く教えを心待ちにしながら、じっとしているのです。それはまるで、はちみつを絞りだすとき、大勢の人がはちみつを心待ちにしながらじっとしているようなものです。」
人々が噂する話を聞き終えたとき、ブッダはサクルダーインに質問します。
「その噂話の通り、わたしの弟子はわたしを尊敬して、崇拝して側近ですごしていますが、サクルダーイン、それはなぜだと思いますか?」
サクルダーインはブッダの質問に答えます。
「それはブッダが5つの特質を持つからです。ブッタは少食で過ごし、どんな衣服でも満足し、どんな施しの食べ物でも満足し、どんな住居でも満足して過ごし、人々から離れて生活しているから、この5つの特質を持つからブッダは尊敬されると思うのです。」
ブッダは言います。
「そのような5つの特質で、わたしの弟子はわたしを尊敬して、崇拝して側近ですごしているのではありません」
《ブッダが尊敬される理由を答える》
「わたしの弟子は、わたしのすぐれた道徳の戒律、すぐれた智見、すぐれた智慧、苦集滅道の四諦、三十七道品の修行を教えの5つの特質を教えてもらえるから、弟子たちのほうからわたしに教えをもとめにくるのです。」
「弟子たちは苦しみについて、苦しみの原因、苦しみの止滅、苦しみの止滅の方法を質問してきます。そして、わたしは苦しみの四諦の真実を解答して弟子たちのこころを喜ばせるのです。」
さらに、ブッダは弟子たちに七科三十七道品の修行を伝えます。

《七科三十七道品の教え》
《四念処(しねんじょ)》観察する瞑想で「浄楽我常」の四顛倒(してんどう)を打破する瞑想を伝えます。》
四つの注意力の確立の「四念処」で、
身体についてよく観察し(身念処)、
もろもろの感受についてよく観察し(受念処)、
心についてよく観察し(心念処)、
もろもろの事象についてよく観察し(法念処)、
世間の欲望と憂いを制御します。

《四正断(ししょうだん)》悪いことを少なくし、善いことを増大する瞑想を伝えます。
つぎに、四つの正しい努力「四正勤」で、
まだ生じていない悪・不善を生じさせないために(律儀断)、
すでに生じた悪・不善のことがらを捨て去るために(断断)、
まだ生じていない善のことがらを生じさせるために(随護断)、
すでに生じた善を失念せずに増大させるために(修断)、
意欲をもって心を制御します。

《四神足(しじんそく)、「禅・道・果」を成就(じょうじゅ)するために働く「成就の基礎」の瞑想を伝えます。》
つぎに、四つの成就の基礎「四神足」で、
意欲というすぐれた瞑想を得ようと願い(欲神足)、
精進ですぐれた瞑想を得ようと努力して(勤神足)、
心をおさめてすぐれた瞑想を得て(心神足)
智慧をもって思惟観測してすぐれた瞑想を得る(観神足)
成就の基礎を修得します。



《五根(ごこん)五つのすぐれた能力の瞑想を説明します。》
つぎに、五つのすぐれた能力のはたらき「五根」の、
「信根」で三宝(仏法僧)を信じる能力を、
「精進根」で(四正断)精進して行う能力を、
「念根」で(四念処)注意力の瞑想を行う能力を、
「定根」で(四神足)精神統一の瞑想を行う能力を、
「慧根」で(三法印)智慧を見る能力を得ます。
《五力(ごりき)五つのすぐれたはたらきの瞑想を説明します。》
つぎに、五つのすぐれたはたらき「五力」の、
「信力」で三宝(仏法僧)を信じる働き、
「精進力」で(四正断)精進して行う働き、
「念力」で(四念処)注意力の瞑想を行う働き、
「定力」で(四神足)精神統一の瞑想を行う働き
「根力」で(三法印)智慧を見る働きを得ます。
《七覚支(しちかくし)の「捨」(しゃ)対象への執着がなくなる「中庸・ちゅうよう」な気持ちを強める瞑想を説明します。》


つぎに、七つの覚りの因となる「七覚支」の、
「念」でこころを一点にとどめて気を付けて、
「択法」で教えの中から真実を選び、
「精進」で正しい努力をして、
「喜悦」の瞑想の実践で悦びを得て、
「軽安」の心身が軽やかになり、
「定」でこころを集中して乱さなくなり、
「捨」で対象への執着がなくなります。
《八正道(はっしょうどう)の苦を滅する道の修行方法を伝えます。》
つぎに、八つからなる道の「八正道」の、
正しい見解の「正見」を、
正しい考えの「正思惟」を、
正しい言葉の「正語」を、
正しい行為の「正業」を、
正しい生活の「正命」を、
正しい努力の「正精進」を、
正しい気づきの「正念」を、
正しい集中の「正定」を修得します。


《八つの解脱(八解脱)を得るための瞑想を伝えます。》
そして、さらに八つの解脱(八解脱)で、
身体に集中して色界の瞑想に入り第一解脱します、
身体への想いをなくして第二解脱します、
「浄らかである」のみを認めて第三解脱します、
無色界の「空間は無限である」空無辺処に入り、第四解脱します、
無色界の「意識は無限である」識無辺処に入り、第五解脱します、
無色界の「なにも存在しない」無所有処に入り、第六解脱します、
無色界の「想いがあるものでのなく、想いがないものでもない」非想非非想処に入り、第七解脱します、
想念も感受も滅する「想受滅」に到達して、第八解脱します。


《八つの統御(とうぎょ「全体をまとめて支配する、思い通りに扱う意味」)の観想の「八勝処」(欲界で色と形に対する執着を取り除く、八つの階段の瞑想法)を伝えます。》
そして、さらに八つの統御の観想で、
自分の色・形を想い、外の「限りある物」をみて「わたしは知り、見ている」と想う第一の統御の段階です。
自分の色・形を想い、外の「限りない物」をみて「わたしは知り、見ている」と想う第二の統御の段階です。
自分の色・形の想いを抱かずに、外の「限りある物」をみて「わたしは知り、見ている」と想う第三の統御の段階です。
自分の色・形に関して想いを抱かずに、外の「限りない物」をみて「わたしは知り、見ている」と想う第四の統御の段階です。
自分の色・形の想いを抱かずに、外の「青い物」をみて「わたしは知り、見ている」と想う第五の統御の段階です。
自分の色・形の想いを抱かずに、外の「黄色い物」をみて「わたしは知り、見ている」と想う第六の統御の段階です。
自分の色・形の想いを抱かずに、外の「赤い物」をみて「わたしは知り、見ている」と想う第七の統御の段階です。
自分の色・形の想いを抱かずに、外の「白い物」をみて「わたしは知り、見ている」と想う第八の統御の段階です。
《十の遍満(へんまん「広くいっぱいにいきわたらす意味」)の観想(十遍処)(以下の十の想いを広くいきわたらしていく瞑想)》
そして、さらに十の遍満の観想で、
「地・水・火・風・青・黄・赤・白・空間・意識」が遍満(へんまん)していることを上下左右限りなく観想します。
《色界の四禅の瞑想の説明をします。》
そしてさらに、四禅の瞑想に入ります。
欲望と不善から離れて、大まかな考察や、細かな考察を伴いつつも、欲望と不善を離れることから生じた喜びと安楽を備えて過ごします。四禅の第一段階に達しています。
そして、大まかな考察も細かな考察も離れて、安定したこころから生じる喜びと安らぎで過ごします。四禅の第二段階に達しています。
そして、喜びを離れることによって平静で注意力を備えて安楽(あんらく)で過ごす者になります。四禅の第三段階に達しています。
そして、安楽も苦しみも喜びも憂いも捨て去っているので、中庸さの注意力がもっとも清浄に到達して過ごします。瞑想の第四段階に入ります。


《色界の四禅を修得すると神通力が生じる説明をします。》
この第四段階の瞑想にはいると、こころが正しく統一された清浄な境地になるので、
しだいに修行する弟子たちには神通力(じんつうりき)が生じてきます。
一身から多身となったり、現れたり、消えたり、まるで空中を行くかのように、水中にいるかのように、太陽に触ったり、梵天の世界に入ったりする神変の神通力を得ます。
人間を超えた聴力で神の声も遠くの人の声も聞き取る天耳智の神通力を得ます。
他人の心を洞察できる他心智の神通力を得ます。
過去の生存を想い起こす智慧の「宿住智」(しゅくじゅうち)の神通力で、前世の自分を思い起こして過ごします。
そして、死んでから生まれかわって再生することをしる「死生智」(しせいち=天眼智・てんげんち)の神通力で、からだ・ことば・こころの悪い行いは、死んでから地獄に再生することを見ます。また、からだ・ことば・こころの善い行いをする者は、死んでから天の世界に再生することを見ます。
そこからかれは、こころから煩悩が漏れて出てくるのを消滅させる智慧の「漏尽智」(ろじんち)の境地で過ごします。


《倶分解脱(ぐぶんげだつ)の説明です。》
煩悩の汚れが滅したので、
「こころの解脱と智慧の解脱」を現世でします、
そこから渇愛(かつあい)の執着する生存(せいぞん)の心からも解脱します、
この五つの特質で尊敬されているのです。
この話を聞いてサクルダーインは感動して歓喜しました。



