仏教の世界観を「図解」で説明します。仏教の世界観は「欲界・色界・無色界」の三界があります。瞑想によって得られる心の境地が三界に対応して、「五蓋の離脱・色界の四禅・無色界の四禅」と教説されています。ブッダが教えている境地は、他の沙門達では到達できなかった、さらに上の、想う気持ちと感受する気持ちが消える想受滅(そうじゅめつ)の阿羅漢の境地です。
![仏教の瞑想の境地「図解」](https://buddha.pink/wp-content/uploads/2019/09/z4-3-709x1024.jpg)
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ブッダが求める「色界」・「無色界」より上の「想受滅」
バラモンは祈りの祭司をするだけ
バラモンは身分制度の「ヴァルナ」をつくりあげ、
一番高い階級の支配者「バラモン」となり祭事独裁主義で国を支配していきます。
宇宙を司る神様のブラフマンに祭祀(さいし)をするのがバラモン教です。
ブッダはバラモンの祭祀よりすぐれた祭式を説いています。
![くらだんず経 長部5経](https://buddha.pink/wp-content/uploads/2020/01/h88-320x180.jpg)
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次に、
沙門の目指す境地を見てみましょう。
沙門(しゃもん)は梵我一如で解脱を目指す
真理を追究して独自にウパニシャッド(奥義書)の梵我一如(ぼんがいちにょ)で、
解脱を目指したのが沙門の修行僧です。
![](https://buddha.pink/wp-content/uploads/2019/08/a32e5cc76648c919e29bdd8c053b7325.jpg)
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当時の沙門は「ウパニシャッド」(奥義書)を作り上げ、
梵天のブラフマンと、自分の心にいる「我」のアートマンとを一体化させて解脱する、
梵我一如(ぼんがいちにょ)を目指しました。
しかし、
ブッダはこの自己を司る「我」のアートマンも徹底的に否定しています。
ブッダの教えは
諸法無我(しょほうむが)
![沙門果経](https://buddha.pink/wp-content/uploads/2019/08/he61-320x180.jpg)
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ブッダは出家して仙人のもとで修行をしました。
それを見てみましょう。
当時有名な仙人の境地もすぐに体得
経典にでてくるエピソードに出家してまず、
アーラーラ・カーラーマ仙人のもとで修行しますが、
アーラーラ仙人が教える最高の瞑想境地である無色界の「無所有処」(むしょうしょ)を、
すぐに体得してしまいます。
次に、
ウッダカ・ラーマプッタ仙人のもとに行って修行を始めます。
そして、ウッダカ仙人が教える最高の境地の「非想非非想処」(ひそうひひそうじょ)も、
簡単に体得してしまいます。
この二人から教わった瞑想の境地も、
ただ単に、
「無所有処」(むしょうしょ)の境地と、
「非想非非想処」(ひそうひひそうじょ)の境地に過ぎないと、
仙人のもとを立ち去り、
独りで修行をはじめます。
苦行をするも放棄して、瞑想で成道する。
仙人の境地を体得した後、
さらなる境地を目指すため、
仙人のもとを出て一人で苦行を始めます。
29才で出家して35才の成道するまで、
苦行を徹底的に実践する修行者でした。
しかし苦行では覚ることができないと実感して、
苦行を辞めて成道するまで瞑想すると決意します。
そして、
みごと瞑想で成道を果して「真理」を体現したのがブッタです。
![マンガ「ブッダの成道」](https://buddha.pink/wp-content/uploads/2018/09/me6-320x180.jpg)
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それでは、次に
仙人が教える境地、
「無所有処」(むしょうしょ)の境地と、
「非想非非想処」(ひそうひひそうじょ)の境地とは、
「違う境地」とは、
どんな境地なのかを見ていきましょう。
ブッダが教える瞑想の境地「想受滅・そうじゅめつ」
![](https://buddha.pink/wp-content/uploads/2018/09/z5-1.jpg)
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想受滅(そうじゅめつ)で修行完成者の阿羅漢(あらかん)になる
瞑想で開けてくる、
心の三界の世界の頂点の「非想非非想処」でもまだ、
想う気持ちの「想」(そう)と感受する気持ちの「受」(じゅ)が存在します。
ブッダが伝える仏教では、
想う気持ちの「想」と感受する気持ちの「受」までもが、
消えてしまう境地を教えています。
その境地を体得する修行者は修行完成者の阿羅漢(あらかん)になります。
阿羅漢になると、「輪廻(りんね)はつきて、もうこの世に再生して生まれてこなくなる」解脱者となります。
![ブッダの解脱 想受滅「図解」](https://buddha.pink/wp-content/uploads/2018/09/ze16-320x180.jpg)
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と、
ここまでが今までの解説でしたが、
新たな気づきがありましたので、追記《2021.6.29》しておきます。
想受滅(そうじゅめつ)の境地とは、他の瞑想の境地と何がどう違うのか?
瞑想でただ「無」を目指す、アーラーラー仙人の「無所有処」(むしょうしょ)
ラーマプッタ仙人の「非想非非想処」(ひそうひひそうじょ)は、
「苦の理解」ができていない状態。
中部経典「聖求経」より
「この教えは厭い(いとい)離れることに導かず、貪りを離れることに導かず、滅することに導かず、正しい目覚めに導かず、ニッバーナに導かない。ただ、その境地に達するのみである。」
![聖求経マンガ](https://buddha.pink/wp-content/uploads/2019/09/m66-320x180.jpg)
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想受滅の境地は、
『智慧によって見る境地』なので、
「これは苦しみである」とありのままに知り、
⇒自我がなく、五蘊の縁起で成り立つ、四苦八苦する自分
「これは苦しみの原因である」とありのままに知り、
⇒感受したものが、「行」で形成されて、変化して苦が発生している。
「これは苦しみの消滅である」とありのままに知り、
⇒「怒り・貪り」の悪い煩悩を手放した涅槃の状態。
「これは苦しみの消滅にいたる道である」とありのままに知るのです。
⇒「怒り・貪り」の悪い煩悩を手放す実践。八正道の実践
「苦の真理」四諦をきちんと理解して、
瞑想すると
もろもろの煩悩は滅尽(滅尽定)していくことになるのです。
もう少し、
具体的に「苦」の理解を進めていきましょう。
ブッダの体現した真理のひとつが『諸法無我(しょほうむが)』
ブッダは瞑想で「成道」をして、
ありのままの真理を如実知見をしました。
そのありのままの真理の一つが、
自分には我がない、「諸法無我」(しょほうむが)の、
自分は「色・受・行・想・識」の五つの要素、
五蘊(ごうん)の縁起で成り立つ真理です。
![](https://buddha.pink/wp-content/uploads/2018/09/z9-2.jpg)
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この五蘊(ごうん)は、
一切皆苦(いっさいかいく)の、四苦八苦(しくはっく)のひとつ、
「五蘊盛苦・ごうんじょうく」
生きてると思うようにならない苦しみ。
なのです。
生きていると、年をとり、病気になり、死んでしまう。
生きている今も、自分では心臓を止めることができない。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)は、
「自分ではどうしようもできない真理」
また、
感受して嫌な気持ちになると、不快な想いになり、
怒りや貪りの煩悩が、湧き出てきて、
「苦を発生」させてしまいます。
その
「苦を理解しながら瞑想する」
もしくは、
「瞑想して苦を理解していく」
と、
煩悩に気づいて、手放して、滅することができる。
「想う気持ち」・「感受する気持ち」を「滅する」ことができる
このことが、
「想受滅」の境地なんですね!
「苦の真理に気づかないと」手放せないので、
「無」の境地は「苦の解決にならない」から
ブッダは仙人のもとを離れて、
「苦の真理」を如実知見して成道した。
それはずばり、
「四諦」を体現したことですね!
瞑想という行為は、
すごく似ているけど、
「無の境地」を目指すのと、
『智慧によって見る境地』の
「苦の解決を目指す境地」とでは、
全然違う境地(求める先が違う境地)なのが理解できました!
このように「経典に書いてある教えを教えてくれる人」には、
今まで出会いませんでした。
ブッダの教えは、ほんとうに深遠な教えです。
原始仏典を読んでブッダの教えの学びが深まりましたので、
実物の原始仏典を読むことも本当におすすめします!
もちろん、
「えん坊&ぼーさん マンガで楽しい原始仏典サイト」
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つぎに、
「苦の滅する方法」を
経典から具体的に見ていきましょう。
「苦」が滅するにはどうしたらよいのか?
「苦に気づかないと」手放せないので、
瞑想で、「どうすれば手放すことができるのか」、
ブッダの教えを見てきます。
長部経典 第22経「大念処経」より
もろもろの事象の法について生起の法を観察して、
もろもろの事象の法について衰滅の法を観察していくのです。
観察して知った分だけ、記憶した分だけ、
「ただもろもろの事象の法のみが存在する」という念いが現れ起こるのです。
そして、なにものにも依存しなくなり、世間のなにものをも執着しなくなります。
現時点のぼーさん的には、
怒りも貪りも、
生起もすれば、衰滅もしていく
と覚ったブッダが言ってくれているので、
『貪っている自分に気づく、
怒りが湧いている自分に気づく、
「気づいたら、消えるまで耐え忍ぶ」を
かみしめて実践しています。(笑)』
依存しなくなる境地に達するには、
出家が必要と思っています。
ぼーさんはいろんなものに執着しているからね・・・。
気持ちはわかるぞ。
![一切皆苦 四法印「図解」](https://buddha.pink/wp-content/uploads/2018/09/ze19-320x180.jpg)
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![大念処経「図解」](https://buddha.pink/wp-content/uploads/2019/10/z72-320x180.jpg)
![大念処経「図解」](https://buddha.pink/wp-content/uploads/2019/10/z72-320x180.jpg)
この、
五蘊の「受」と「想」を滅する境地が「想受滅」でブッダが説く最高の境地、
阿羅漢(あらかん)の境地です。
「色・行・識」の3つは、想・受が無くなる前の瞑想段階で無くなっています。
想受滅と涅槃の境地の違いも
見ておきましょう。
涅槃(ねはん)の境地とブッダの死のイメージの違い
ブッダはさらにその上の、
完全な涅槃(ニルバーナ)の境地にはいったと、
第16経大般涅槃経(だいはつねはんきょう)に表現されています。
長部経典第14経「大本経」には、涅槃(ニルバーナ)は「現世で煩悩を消滅した境地」で表現されています。しかし、長部経典第16経「大般涅槃経」では、ブッダが入滅したエピソードがでてくるので、涅槃は「死後のイメージ」と表現されています。
涅槃のもともとの意味は「煩悩の火が消された状態」で、もともと現世で煩悩を消滅した境地の意味だったのが、煩悩を消滅した「解脱者の死」を意味する見解が強くなる。と春秋社「原始仏典」長部経典Ⅱ注訳で浪花宣明先生が解説してくれいます。
(参考:「図解」ブッダの教えもくじはこちら)
![](https://www15.a8.net/0.gif?a8mat=3HG6SO+3R5F3M+2PEO+BYDTU)
![](https://www15.a8.net/0.gif?a8mat=3HG6SO+3R5F3M+2PEO+BYDTU)