煩悩が生起する法が十二縁起の順観(じゅんかん)になります。その十二縁起を逆に観ていくのが逆観(ぎゃっかん)で、煩悩が消滅・衰滅する法になります。これはブッダが見た苦の真理の、煩悩が「生起する法」と「消滅する法」になります。

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煩悩の消滅・衰滅メカニズム 十二縁起の逆観
煩悩が発生するメカニズムの十二縁起を逆に見ていくことで、煩悩が消滅していくことが教えられています。
簡単に表現すると、
無明(むみょう)がないと→老死がない、
老死がないと→生まれる(生)もない、
生まれる(生)がないと→生存(有)もない
生存(有)がないと→執着(取)もない
執着(取)がないと→渇愛(愛)もない
渇愛(愛)がないと→感受(受)もない
感受(受)がないと→接触(触)もない
接触(触)がないと→六処(ろくしょ)もない
六処(ろくしょ)がないと→名称と形態(名色)もない
名称と形態(名色)がないと→識別作用(識)もない
識別作用(識)がないと→形成作用(行)もない
と縁起で消滅する法が教えられています。
日本の仏教でも「縁起」(えんぎ)はよく聞きますが、縁が起こるので「良いことをすればよいことが起きて、悪いことをすれば悪いことが起きる」と「物事が生起していく」一面だけが前面に教えられている印象を受けますが、
原始仏典のお経には、
煩悩が「生起する原因」をしると、煩悩が「消滅していく」真理をしる。
と、ブッダは教えてくれています。
原始仏典のお経にはこの「消滅する法」がたくさん出てきます。この消滅する法に注目してお経を読んでいけば、煩悩がなくなる状態の「涅槃の境地」が理解できます。お経を見ていきましょう。
煩悩が消滅する法がでてくるお経
長部経典 第1経 梵網経(ぼんもうきょう)
ブッダの教えの経蔵(けいぞう)の一番最初のお経「梵網経」に、この「消滅する法」が出てきています。
ブッダ以外の思想家の六十二の見解の生じるもとは
「接触を縁として生じるものである」と生起する法を縁起で説明して、
そして、
これら六十二の見解は
「接触をしないで感受することはない。」
と縁起の解決となる理由も付け加えて解説しています。
それからさらに、
六つの触処の「原因」と「消滅」と楽しみと過患と離脱とを如実に知れば、六十二の見解よりすぐれていることを知る。
とても簡潔ですが、生起する法と消滅する法がでてきます。
ちなみに、この梵網経は「執着した自分の見解を取り除く」教えになるのでとても重要です。自分の見解を取り除かないとブッダの教えが理解できないので、一番最初のお経になっています。
次は、とても縁起が詳しく書かれているお経です。
長部経典 第15経 「大縁方便経」(だいえんほうべんきょう)
このお経は「生成の由来についての大なる経」と題されています。
アーナンダがブッダに「師よ、驚きです!縁起の教えがこんなにも奥深いとは。わたくしには浅い浅い容易に理解できるもののように思えるのです。」というところから始まります。
ブッダがこたえます。「アーナンダよそのように言ってはならぬ。この縁起の教えは奥深く、この教えを理解して洞察しないために、世の人々は、織り糸が絡み乱れるように、苦しみの世界の輪廻から逃れられないのだ。」と伝え、
「縁起の成立条件(苦の原因の十二縁起)」と
「縁起の成立しない条件(十二縁起の逆観)」
なにによって(縁)老死があるか→生まれる(生)→生存(有)→執着(取)→渇愛(愛)→感受(受)→接触(触)→名称と形態(名色)→識別作用(識)の縁起の成立しない条件を説きます。
そして最後に、慧解脱(えげだつ)と心解脱(しんげだつ)の俱分解脱(ぐぶんげだつ)の教えで締めくくられます。
縁起の教えを理解できてなくて、覚れていない様子のアーナンダがうかがえるお経です。
ちなにみ、次の第16経「大般涅槃経」では、ブッダが入滅しても覚れていないアーナンダが描かれています。
次に、瞑想修行が詳しくかかれているお経です。
長部経典 第22経 「大念処経」(だいねんじょきょう)
大念処経は「瞑想修行に関してもっとも重要なお経」になります。
このサイトでも、ほぐし読み、図解でがっつりと解説しています。
このお経ではブッダが繰り返し、繰り返し、
「生起する法」と「衰滅する法」を説いています。
とても長いですが、ほぐし読みも合わせて、是非読んでみてください。




次は、長部経典最後のお経です。
長部経典 第34経 「十上経」(じゅうじょうきょう)
長部経典の一番最後のお経「十上経」の「1、真理についての智慧」で、教義された十二縁起が解説されています。
(8)生じさせられるべき四つの智慧
1、真理についての智慧・・・ 「法智・ほうち」十二縁起をしり、消滅に導く道を知る
2、敷衍(ふえん)する智慧・・・「類智・るいち」現在世の智慧を過去、未来においても、老死の本性、原因、消滅、はこのようなものであったと知る智慧
*後世・・・欲界の四諦を知ることが「法智」で、色界、無色界の四諦を知ることが「類智」とされる
3、他人のこころを知る智慧
4、世俗的な智慧
解説:浪花宣明先生
次は、中部経典からです。このお経も具体的に詳しく消滅する実践が書かれています。
中部経典 第九経 「正見経」(しょうけんきょう)
サーリプッタが修行僧に正しく見ることを説法する経です。
1、不善について、
2、善について、
3、食についての四種について、
4、苦集滅道の四諦について、
5、十二支縁起の縁起について、
6、漏煩悩(ろうぼんのう)について、無明が生起すると漏煩悩が生起する。八正道で無明を捨てて、苦の原因を知る明知を生起させて、苦を消滅させることで説法が締めくくられる内容です。
このように、原始仏典のお経にはたくさんの「生起する法」と「消滅する法」が縁起で説かれています。
なぜ、何度もこの「生起する法」と「消滅する法」の教えがでてくるのかというと、
「生起する法」「消滅する法」は、
「生起する法」が「苦の原因」になり、
そして、
「消滅する法」が「苦の消滅」の仕方・方法になるからです。
「苦の消滅」は涅槃(ねはん)の境地なので、
涅槃(ねはん)・ニルバーナにいたる、
仏教でよく表現される、
此岸(しがん)から彼岸(ひがん)に渡る教えになります。
次に、4つの「苦の真理」四諦(したい)で苦の消滅の方法を確認します。


苦の消滅方法「苦・集・滅・道」の四諦(したい)
四諦(したい)は、苦の4つの真理
- 苦諦(くたい)は、生きているいまが一切皆苦の「苦の世界」
- 集諦(じったい)は、「苦の原因」で煩悩が十二縁起で発生すること
- 滅諦(めったい)は、「苦の滅せられた境地」は涅槃の境地
- 道諦(どうたい)は、「苦を消滅させる方法」は八正道の実践
瞑想修行でもっとも重要なお経、「大念処経」の瞑想は、道諦の八正道(はっしょうどう)のひとつ、正念(しょうねん)の観察するヴィパッサナー瞑想です。
自分の煩悩が発生する原因の集諦の十二縁起を観察して、
自分の心の悪い煩悩を取り除く=十二縁起を逆観で観て消していく
瞑想修行の滅諦の教えでもあります。
観察の瞑想で煩悩が取り除けたら、
それは「涅槃の境地」の滅諦です。
このように、
苦の真理の四諦を理解して(慧解脱・えげだつ)、
煩悩がないのを体現できたら(心解脱・しんげだつ)、
それは解脱(両方で俱分解脱・ぐぶんげだつ)になると
ブッダは教えてくれています。


日常生活は欲界、瞑想は色界
日常生活を過ごしているときには、眼・耳・鼻・舌・身・意の身体全部を活用して、いろんなことに触れては感受して生活しているから、煩悩が発生しやすい欲界の世界で過ごしています。
それとは別に、
瞑想をしているときは、眼・耳・鼻・舌・身・意の感覚器官や身体の活動を抑えていき、欲界から煩悩のうすれていく清らかな色界の世界で過ごすことになります。
しかし、瞑想から覚めると、
また欲界で身体全部を使って日常生活を過ごし煩悩が発生しやすい環境で過ごすことになります。
そんな煩悩が発生しやすい欲界の日常生活をしながら、
煩悩を入れかえる効果的な修行方法がこちらです。
日常生活で煩悩を消滅させる方法
日常生活で気軽にできて、悪いこころを良いこころに入れかえる瞑想が
「慈悲喜捨」(じひきしゃ)の瞑想です




しかし、日常生活の欲界だけを過ごすだけでは、
欲界では、四諦や漏尽智の体現はできない
日常生活を過ごす欲界では、
「生起する法」「消滅する法」を含む、四諦や、煩悩が尽きる「漏尽智」(ろうじんち)を体現することはできませんので、
やはり、
ブッダが説法で常に教えている、
一人で坐して、瞑想する
が原始仏典にはよく書かれていて大事な修行になります。




密教にでてくる瞑想も紹介します。
密教「大日経」に出てくる瞑想「阿字観」
密教で有名な「阿字観・あじかん」の瞑想も、
「貪・瞋・痴を手放して、清浄を得よ!」と、でてきます。
瞑想もいろんなやり方があるのですが、
自分のこころを観察して、自分の中の悪い煩悩を取り除いていくこと、
がわかります。
前の「金剛薩埵の3つの質問」も読むと理解が深まります。参考にどうぞ!


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ブッダの教えで、人生の悩みの解決を実践しやすく、かつ効果に即効性あるやりかたも実体験を交えて具体的に書きました。有料記事になりますが、興味のある方は、是非一読してみて下さい。

