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初転法輪(しょてんぽうりん)とは、「聖求経」の内容を解説 ブッダの教え

マーラ悪魔「聖求経」
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初転法輪、ブッダが五人の比丘へ法輪をまわす「聖求経」⑥

「聖なるものを求めて」⑥最終話 *五人の比丘に、初転法輪

マーラ悪魔
ラーマ悪魔2
マーラ悪魔3
想受滅
「想受滅」は感受も、想いも、滅した、阿羅漢の境地

中部教典 第26経 「聖求経」(しょうぐきょう)はブッダはなぜ出家をしたのか、ブッダが出家を決意する心境が詳細に書かれているお経です。出家してアーラーラ長老(漢訳では仙人)とウッダカ長老の教えを受けたのち、一人で修行し、独坐で成道(ニッバーナ)しました。自ら如実体現した成道の真理の教えを梵天ブラフマンから懇願されて、説法の伝道を決心し、五比丘に初めて法輪をまわす「初転法輪」の内容が描かれているお経です。このサイトでは6話目の最終話です。

第26経「聖求経」ほぐし読み⑥「第六話 最終話」

アーナンダ
アーナンダ
五人の修行僧たちもやっと成道したブッダの話を聞く体制が整いました。
わたくしアーナンダはつづきをこう聞きました!

《第一話》ブッダが出家を決意する「聖求経」①はこちらです。

「第六話 最終話」

いよいよ、ブッダは五人の比丘達に初めての説法を始めます。

《初転法輪》(しょてんぽうりん)

修行僧たちよ、五つの欲望の対象があります。

眼によって識別される、好ましく、愛おしく、また望ましく、かわいく、欲をともない、魅力的なもろもろの色かたちある、眼によって生じる欲望の対象があります。

耳によって識別される、好ましく、愛おしく、また望ましく、かわいく、欲をともない、魅力的なもろもろの色かたちある、耳によって生じる欲望の対象があります。

鼻によって識別される、好ましく、愛おしく、また望ましく、かわいく、欲をともない、魅力的なもろもろの色かたちある、鼻によって生じる欲望の対象があります。

舌によって識別される、好ましく、愛おしく、また望ましく、かわいく、欲をともない、魅力的なもろもろの色かたちある、舌によって生じる欲望の対象があります。

身体によって識別される、好ましく、愛おしく、また望ましく、かわいく、欲をともない、魅力的なもろもろの色かたちある、身体によって生じる欲望の対象があります。

これらが五つの欲望の対象であります。

修行僧たちよ、いかなる沙門達であれ、バラモンたちであれ、これら五つの欲望の対象に縛られて、夢中になり、執着し、わずらいを見ることなく、脱出する智慧もなく、感受してむさぼりふける者たちは、不幸になり、災いをこうむり、悪魔(マーラ)の思うままにされてしまうのであろうと、知るべきです。

たとえば、罠に捕まって横たわっている森の鹿は、不幸になり、災いをこうむり、猟師が来ても、猟師の思うままにされて、思うように脱出できないと知るべきです。

また修行僧たちよ、いかなる沙門達であれ、バラモンたちであれ、これら五つの欲望の対象に縛られず、夢中にならず、執着せず、わずらいを見て、脱出する智慧があって、感受したこと、想ったことを手放す者たちは、不幸にならず、災いをこうむらず、悪魔(マーラ)の思うままにされないであろうと知るべきです。

たとえば、森の鹿が、森や林を歩くときに、安心して行き、安心して立ち、安心してすわり、安心して横になるようなものです。それはなぜか、猟師の領域に入らないからです。

《色界の四禅の説法》

そのように修行僧たちよ、

修行僧は、

もろもろの五つの欲望の対象を離れ、もろもろの不善なことがらを離れ

粗い考察(尋)の瞑想をはじめた初期の状態と、
細かな思慮(伺)の考察を継続している状態で、
喜悦(喜び)と、楽(安楽)が生じて、一境性(集中)がある
禅定の第一段階、の第一禅を実現して住むのです。

これが、悪魔(マーラ)を盲目にし、悪魔が見ないところに行った修行僧といいます。

そして、修行僧は、

粗い考察(尋)や細かな思慮(伺)を離れて、
内面が清浄で、心が一転に集中し分別も思慮もない状態で、
喜悦(喜び)と、楽(安楽)が生じていて、一境性(集中)がある
禅定の第二段階の第二禅を実現して住むのです。

これが、悪魔(マーラ)を盲目にし、悪魔が見ないところに行った修行僧といいます。

そして、修行僧は、

喜悦を離脱して、喜悦を離れることによって生じた安楽がある状態で、
楽(安楽)が生じていて、一境性(集中)がある
「無関心で念いをたち、安楽にすごす」と聖者たちがいう、
禅定の第三段階の第三禅を実現して住むのです。

これが、悪魔(マーラ)を盲目にし、悪魔が見ないところに行った修行僧といいます。

そして、修行僧は、

安楽を捨て、苦しみを捨て、
もうすでに喜びと憂いがなくなったがゆえに、
苦しみも安楽もない、
中庸(ちゅうよう)より生じた注意力がもっとも清浄になって、
一境性(集中)がある
禅定の第四段階の第四禅を実現して住むのです。

これが、悪魔(マーラ)を盲目にし、悪魔が見ないところに行った修行僧といいます。

《無色界の四禅》

さらに修行僧は、
あまねく外界の想念を越え、
内界の想念をなくし、
さまざまな想念を想うことがないがゆえに、
空間は無限であるという、空無辺処(くうむへんしょ)を実現して住むのです。

これが、悪魔(マーラ)を盲目にし、悪魔が見ないところに行った修行僧といいます。

さらに修行僧は、
あまねく空無辺処を越えて、
意識は無限であるという識無辺処(しきむへんしょ)を実現して住むのです。

これが、悪魔(マーラ)を盲目にし、悪魔が見ないところに行った修行僧といいます。

さらに修行僧は、
あまねく識無辺処を越えて、
なにもないという無所有処(むしょうしょ)を実現して住むのです。

これが、悪魔(マーラ)を盲目にし、悪魔が見ないところに行った修行僧といいます。

さらに修行僧は、
あまねく無所有処を越えて、
想いが、あるものでもない、ないものでもないという、
非想非非想処(ひそうひひしょうじょ)を実現して住むのです。

これが、悪魔(マーラ)を盲目にし、悪魔が見ないところに行った修行僧といいます。

さらに修行僧は、
あまねく非想非非想処を越えて、
想受滅(そうじゅめつ)を実現して住むのです。

智慧によって見るので、もろもろの煩悩は滅尽(滅尽定)しています。

これが、悪魔(マーラ)を盲目にし、悪魔が見ないところに行った修行僧といいます。

世間における執着を渡り超えていて、
この想受滅を実現した修行僧は、
安心して行き、安心して立ち、安心してすわり、安心して横になります。

それはなぜか、

修行僧たちよ、

それは

悪魔の領域に入らない

からです。

《歓喜奉行》

五人の修行たちは世尊が説かれたことに満足し、おおいに喜びました。

聖求経「完」

初転法輪の内容は、四禅(しぜん)の瞑想とその上、想受滅

初転法輪の内容は四諦・八正道・中道とよく言われていますが、

この「聖求経」にでてくる初転法輪の内容は、

  1. 五つの欲望の対象を離れて、
  2. 色界の四禅の瞑想をして、
  3. さらに上位の無色界の瞑想をして、
  4. 最終目的は「想受滅」で滅尽定の境地

が説法されています。

「聖求経」のブッダの成道のエピソードを振り返る

ブッダは成道して、このように言いました。

みずからは汚れるものであるけれど、汚れるものに患いを知り、汚れることのない無上の安らぎであるニッバーナを求め、汚れることのない無上の安らぎであるニッバーナを得たのである。

「わたしに知見が生まれ

「わたしの解脱は不動である。これが最後の生まれである。もはや再生することはない。

中部教典 第36経「マハーサッチャカ経」では、

四禅の瞑想をして、

夜の初更に「宿命智・しゅくめいち」、
夜の中更に「天眼智・てんがんち」、
夜の最後に「漏尽智・ろじんち」の神通力を獲得して、

四つの苦の真理「四諦・したい」を如実に知りました。

「煩悩を捨てられないから迷妄(めいもう)がある。煩悩をすてたら再生はない。

と成道したエピソードが詳細にでてきます。

ブッダは出家後、

  1. アーラーラとウッダカの無色界の瞑想の境地を体得しても、無上の安らぎのニッバーナ(成道)を得ることがなく、
  2. 苦行でも無上の安らぎのニッバーナ(成道)を得ることがなく、
  3. そして、四禅の瞑想で、四諦を体現して、煩悩を完全にすてることができて、無上の安らぎのニッバーナ(成道)を得ました。

この聖求経の初転法輪の教えの内容は

ブッダが

成道して得た、ニッバーナの境地を伝えていて、

煩悩が消えてなくなった、ニッバーナの境地が「想受滅」の教え

だということがわかります。

次に、この「聖求経」の初転法輪の史実性をみてみます。

初転法輪の説法の場所は「サールナート・鹿野苑」

初転法輪の場所はサールナートで「鹿野苑」(ろくやおん)、鹿の園と呼ばれているところです。

この聖求経の初転法輪では、森の鹿が捕らわれるたとえの説法がでています。

ウパカへの最初の説法の失敗のエピソードにしても、この「聖求経」で伝えられている

ブッダの教えは史実性があることが伺えます。

ぼーさん
ぼーさん
原始仏典の「聖求経」にも、「仏伝」の一部を構成する資料として重要である。と解説されています。

そして、一番大事なのが、ブッダの成道した「再生しない教え」になります。

再生しない方法は、煩悩を消す。それが「想受滅」

仏教では煩悩をなくすことが大事で、

「煩悩をすてたら、再生がない」と成道でブッダは言っています。

原始仏典には明確に何度も「感受しても、想うことを、滅する」、

「想受滅」(そうじゅめつ)がニッバーナの境地、解脱と表現されてでてきます。

  • 解脱とは、もともと仏教の修業完成者の境地、煩悩を解き放つ意味。
  • 涅槃(ニッバーナ)の原意は、吹き消す、煩悩がない境地。

2021.6.26「想受滅」に関して、気づいたことを追記しておきます。

想受滅(そうじゅめつ)の境地とは?

今回のお経でブッダはこう言っています。

「智慧によって見るので、もろもろの煩悩は滅尽(滅尽定)しています。」

ぼーさん

非想非非想処より上の境地
「想受滅」とは、
どんな境地かわかりませんでしたが、

密教の「大日経」を解説して、
やっと理解できました!
《2021.6.26現在の気づきの追記》

瞑想でただ「無」を目指すのは、
「苦の理解」ができていない状態。
ラーマプッタ仙人の「非想非非想処」や、
密教「大日経」でいう「虚空の相で一切の分別を離れる」状態
(大日経では、苦の教えが説かれていないためそう感じました。下記リンクあり。)

想受滅の境地は、

智慧によって見るので、

「これは苦しみである」とありのままに知り、

⇒自我がなく、五蘊の縁起で成り立つ、四苦八苦する自分

「これは苦しみの原因である」とありのままに知り、

⇒感受したものが、「行」で形成されて、変化して苦が発生している。

「これは苦しみの消滅である」とありのままに知り、

⇒「怒り・貪り」の悪い煩悩を手放した涅槃の状態。

「これは苦しみの消滅にいたる道である」とありのままに知るのです。

⇒「怒り・貪り」の悪い煩悩を手放す実践。八正道の実践

「苦の真理」四諦をきちんと理解して、

瞑想すると

もろもろの煩悩は滅尽(滅尽定)しています。

ということですね!

ぼーさん

「苦を理解」するために
そして、
「苦を解決」のために
瞑想する。

四諦を理解すると、煩悩が滅尽できる!
この違いがブッダの深遠で見づらい教えなのですね!

図解も改訂したので、是非ご覧ください!

「想受滅」に関する詳しい図解は↓

「図解」ブッダの瞑想の境地
色界(しきかい)の四禅、無色界(むしきかい)の四禅、さらに上の想受滅(そうじゅめつ) ブッダの瞑想 仏教の世界観を「図解」で説明します。仏教の世界観は「欲界・色界・無色界」の三界があります。瞑想によって得られる心の境地が三界に対応し...

大日経第一品はこちら↓

大日経「入真言門往心品第一」(にゅうしんごんもんじゅうしんぽん)
「大日経」の教え わかりやすく 最初の肝心な密教の教え! 「入真言門往心品第一」(にゅうしんごんもんじゅうしんぽん)ほぐし読み① この「大日経」(だいにちきょう)「入真言門往心品第一」(にゅうしんごんもんじゅうしんぽん)は、「密教」の教えが教説されているとても重要...

しかし、

ブッダの教えを初めて聞いた人《想受滅を初めて聞いた人には》には、

このように感じてしまうのも「聖求経」に書かれています。

ウパカの初説法失敗はとても大事な前置き

ウパカの説法失敗で解説しましたが、他宗派の考え方や、固執した考え方を持った人には、初めて聞くブッダの話には抵抗があり、受け入れられなく拒んでしまうことがこの「聖求経」には描かれています。

成道したブッダが最初に思った言葉が、
(参考:「第三話」ブラフマン懇願)

わたしが苦労して得たものを、いま説く必要はない。
貪りや怒りに負かされた人々には、この真理はよく理解しがたい。
世間の流れに逆らい行き、微妙で、深遠で、見がたく、微細であるこの真理を、
貪欲に染まり、暗黒に覆われた人々は、見ない。

ブッダ自身も、自分が得た覚りの教えを伝えることが困難であると思っていて、
実際にウパカにも伝えることができなかったエピソードが、成道して最初にでてきています。

今回の五人の比丘たちも

「友、ゴータマよ、あなたはあの苦行を捨てて、努力を捨て、今は贅沢にもかかわらず、どのようにして人間を超えたすぐれた知見に到達できるのでしょう?」

疑いがある状態で、

「わたしは努力を捨て、贅沢になったのではないのです、如来は尊敬されるべきものであり、正しく目覚めた者です。修行僧たちよ、耳を傾けなさい、不死が得られました。わたしは教えを示し説きましょう。わたしの教えられたとおりに行えば、ほどなくして、生きることのはかなさの「苦」から解き放たれる、無上の清らかな修行の完成を、現世においてみずからよく知り、感得し、成就することができるのです。」

と説法を始めても、五人の比丘たちはブッダの話を受け入れる状態ではないので、聞き入れることができていませんでした。

このことから、ブッダの教えの原始仏典は、
間違った見解を徹底的に排除する内容の「梵網経」から始まっていることに繋がっていきます。

このことは、言い換えれば、ブッダの教えの到着地点,

再生しない、煩悩を消すニッバーナの方法が、

この「想受滅」(滅尽定)の教えと聞いても、

ピンとこない人は、ブッダの教えを受け入れる用意がまだできてない、

間違った見解に固執している、こころの状態のサインという、

見方もできます。

最後に、「聖求経」にでてくる初転法輪の教えに沿って、
ブッダの教えの修行内容を確認していきます。

ブッダの成道の修行方法

四禅(しぜん)

1、五蓋(ごがい)を取り除く

四禅の瞑想を始める前に、五蓋(ごがい)の五つの括りの煩悩を取り除く必要があります。

五蓋(ごがい)とは、覚りの修行の瞑想の邪魔になる五つの障害です。
五蓋も煩悩のことですが、特に瞑想修行に入るときに邪魔になる五つの煩悩で、
こころに覆いかぶさる”フタ”として表現されています。
瞑想に入る前に取り除く必要があります。

①貪欲(とんよく)
むさぼることです。

②瞋恚(しんに)
怒りのことです。

③惛沈(こんじん)・睡眠(すいめん)
こころの落ち込みとねむけのことです。

④掉挙(じょうこ)・悪作(おさ)
こころの浮つきと後悔(こうかい)のことです。

⑤疑惑(ぎわく)
ブッダの教えを疑うこうとです。

2、四禅の瞑想をする

五禅支と対応した四禅の説明あります↓
色界四禅の瞑想画像
サマタ瞑想は精神統一、色界の四禅の瞑想、座禅では「止観」の止める瞑想サマタ瞑想は「色界の四禅の瞑想」、止観の止(とど)める瞑想 「色界の四禅の瞑想」 「一境性・いっきょうせい」は集中の意味です(笑...
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3、四諦(したい)を洞察、理解する

五蘊で成り立つ「諸法無我」の理解、四諦でいう「集諦」(じったい)の理解をまず深めます。

なぜなら、ブッダの成道も四諦を体現して、知見がうまれて、「煩悩が尽きて再生がない」ことを見たからです。

この初転法輪にも、五つの欲望の対象を感受しても離れる、ことが最初に出てきています。

自分の身体で感受したことによって、
煩悩が発生する心理作用・精神作用の想いが原因で、
自分自身が縛られている、
五蘊で成り立つ自分を理解することの教えです。

その煩悩が発生するメカニズムが「十二縁起」(じゅうにえんぎ)で、四諦の集諦のことです。

煩悩発生メカニズム
十二縁起(じゅうにえんぎ)「図解」
十二縁起(じゅうにえんぎ)とは わかりやすく 煩悩の発生メカニズム 十二支縁起 図解 「十二縁起」(じゅうにえんぎ)をわかりやすく「図解」で説明します。ブッダは「苦」が生まれてくる順序、煩悩(ぼんのう)の発生メカニズム...

4、解脱を理解する《最上の解脱が倶分解脱》

そのブッダの教えが整備された解脱(げだつ)が、

「煩悩発生のメカニズム(集諦)・四法印」を理解して(慧解脱・えげだつ)

「煩悩をとめる実践(道諦)」で(心解脱・しんげだつ)

より高いもの優れたものは存在しない(両方の倶分解脱・ぐぶんげだつ)

で、

再生することが尽きた、輪廻解脱(りんねげだつ)

という教えになります。

ブッダ
ブッダ
五蘊(ごうん)「色・・行・・識」で
成りたつ無我の自分を体現して、
煩悩を消滅させるために、

うこころ
けるこころを
するのですよ。

「苦集滅道」の四諦が洞察でき、
二度と再生はなくなったと知ります。

「図解」倶分解脱はこちら↓
心解脱 慧解脱 倶分解脱「図解」
解脱(げだつ)とは 簡単にわかりやすく 心の解脱 智慧の解脱 二つで倶分解脱(ぐぶんげだつ)煩悩から解き放たれる解脱のやり方 解脱(げだつ)を簡単にわかりやすく「用語」と「図解」で説明します。心から湧き出る煩悩をとめる「こころの解脱・心解脱(しんげだつ)」と...
えん坊
えん坊
ねぇ、ぼーさん、初転法輪って、四諦・八正道・十二縁起・中道の教えってよく言われてるけど、聖求経では、四禅の瞑想、そして、ニッバーナの境地「想受滅」なんだね!

ぼーさん
ぼーさん
えん坊、長部経典 第14経「大本経」で過去仏の時に、布施の法話、戒律、四聖諦の説法をしたとでてくるね!でも、どのブッダの教えも最終到着地点は「想受滅」に繋がるね!想受滅はとても大事な教えで、仏教を修得するのなら、目指すべき境地だね!

えん坊
えん坊
でもほんと、えん坊も美味しそうなものをみると、五つの欲望の対象に縛られて、食べたい気持ちがあふれて、よだれがでちゃうもんね!
ぼーさん
ぼーさん
えん坊、ぼーさんもかわいい女の子を見ると、鼻の下がのび、、、、あっ!スンダリカさんになっちゃった。ぼーさん五つの欲望の対象にがんじがらめだよ!(笑)

マーラ
マーラ
ぼーさん、見つけだぞー!!!

スンダリカ
スンダリカ
布のたとえのお経!マンガ「不布経」(ふゆきょう)はこちらでやんす。